前人未到、二刀流のスタイルを確立し、大リーグへ

大谷翔平
アメリカ大リーグのロサンゼルス・エンゼルス入りを決めた大谷翔平選手(写真:アフロ)

アメリカ大リーグのロサンゼルス・エンゼルス入りを決めた北海道日本ハムファイターズ大谷翔平選手が12月25日、札幌ドームに1万8千人のファンを集め、栗山英樹監督と共に記者会見し、地元北海道のファンに別れを告げました。大谷選手はなぜ、5年という短期間で投打の二刀流というプロ野球界前人未到のスタイルを確立させ、当初の目標通りの大リーグ入りを果たすことができたのでしょうか。
 

入団交渉時に提示された「育成計画」の存在

2012年のこと。高校卒業時に直の大リーグ入りを希望していた彼をドラフト会議で強行指名し、日本のプロ野球を経て投手と打者の二刀流で大リーグに渡る道を指し示したのが日本ハム球団でした。同球団には、毎年ドラフト会議では本人の意向に関わらずにその年のナンバーワンと評価される選手を指名する、という不文律があると言います。前年11年に現巨人軍エースの菅野智之投手を指名し入団拒否の憂き目にあったものの、その翌年球団はそれに臆することなく他球団が指名を控えた大谷選手を指名したのです。
 

入団交渉の際に大谷選手に提示されたのが、「大谷翔平君 夢への道しるべ」と題された30ページに及ぶプレゼン資料でした。「道しるべ」という言葉からは、当初から球団が二刀流大リーガーの計画的育成というプランを持って大谷獲得に乗り出していたことがうかがわれます。このプロ野球入団交渉で類を見ない交渉資料が、当初交渉の場にすら姿を現さなかった大谷選手を一転入団に転じさせ、ここから日本ハム球団による二刀流大リーガー大谷翔平育成計画はスタートしたのです。
 

実現に影響した「球団の計画性」と指導者の「信じる力」

今になって思うと5年という期間は、当初から球団が大谷選手入団交渉時に提示した予定の育成期間だったのではなかったかとも思われます。2016年にチームが日本一に輝き、投手として10勝、打者として打率3割、本塁打20本という素晴らしい実績を残した大谷選手。シーズンMVPを獲得、投手と指名打者でベストナインに選出され、契約更改の場で球団が翌シーズン終了時での大リーグ挑戦を容認したと報道された時、私はそれを確信しました。二刀流大リーガー大谷翔平は、まず何よりも球団の計画性によって実現に向け大きく動き出したのだと理解できます。
 

栗山監督
栗山英樹監督(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

さらに「大谷翔平5か年計画」を現実のものにしたもうひとつの大きな要因は、以前から申し上げているように、栗山監督という野球界には稀有な存在とも言える人事マネジメントに長けた指導者の存在です。目先のチーム利益に惑わされることなく、本人の成長を第一に考えた育成プランの実現。そして、周囲の大半が無理、無謀と言い続けた二刀流批判に耳を貸さず、夢に向かって突き進む大谷選手を信じフォローし続けた「信じる力」が、彼には何より心強かったに違いありません。
 

12月25日の粋な計らいとも言える、球団主催で大谷選手、栗山監督が同席して多くのファンを集めた本拠地札幌ドームでの退団記者会見は、まさに本人、球団、指導者の三者が5年後のビジョンを共有しつつ一歩ずつ前に進めてきたことが、見事に結実したことを表す象徴的なイベントでした。単なる大谷選手の退団披露でなく、ましてや球団のファン感謝イベントでもなく、三者が協力して目標を達成させたその報告会であったと受け止めています。
 

経営・指導者・プレイヤーが「共通のビジョン」を持つ意味

このように見てくると大谷選手の5年間は、企業マネジメントにとってもヒントが満載であると思います。計画性のある経営、目先に利益に惑わされずプレイヤー育成に心血を注ぐ指導者、そして努力できる環境を与えられ前向きにチャレンジすることを諦らめないプレイヤー。その三者が、明確化された共通のビジョンを共有するとき、掲げられた共通の目標は確実に実現できるということなのです。
 

大谷選手は12月25日の会見で、「ファイターズに入って本当に良かった」としみじみ語っていましたが、それは彼が今心底感じている真実のつぶやきでしょう。これからは異国の地アメリカで、今までとは違う孤独な戦いが待っています。しかし彼はこの5年間に球団関係者、監督から学んだことを糧に、きっと大きく羽ばたいてくれることでしょう。大リーガー大谷選手の二刀流での活躍が今から本当に楽しみです。