ピカピカの姿によみがえる!東京メトロが一般公開
1996年まで40年近く東京メトロ(当時は営団地下鉄)丸ノ内線の顔として親しまれた「赤い旧型車両」500形。引退後、130両ほどが、地球の裏側にあたる南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの地下鉄で「第二の人生」を歩んでいたが、老朽化が進み、彼の地でも引退しつつあった。そこで、この由緒ある車両を日本で保存するとともに、若手社員の車両保守教育に役立てる目的で、2016年7月に4両の仲間が、再び海を渡って約20年振りに懐かしの故国に戻ってきた。
帰国当時は、車体の腐食や落書きなど痛々しい姿だった4両の500形。さっそく、東京メトロでは、500形の復元プロジェクトチームを発足させ、現役時代の500形を知っているベテラン社員の指導のもと、若手社員が、車両洗浄に始まり、車両の補修に着手した。その結果、新車と見まごうばかりのピカピカの姿によみがえったのである。
3両編成で公開。その姿は三“車”三様…
11月末の報道公開に続いて、12月10日には中野車両基地で一般公開が行われ、2700人ほどの応募者の中から抽選で選ばれた180人が500形を目の当たりにすることができたのである。往年の姿を知る人には感動の再会だったことだろう。一般公開のイベントでは、地下鉄開業90周年にちなみ、銀座線の新旧車両(引退したばかりの01系と1000系レトロ風特別仕様車)、丸ノ内線の現役02系(方南町支線仕様)とともに4両揃い踏みの晴れ姿を披露した。また、車両基地内で電車の整備を行う工場見学も行われた。
注目の500形は3両編成で公開された(残る1両は予備車)。車内がダスキーピンクに塗られ、荷棚がドア付近にしかない500形初期の仕様、ドアの窓が小さくなり、座席上すべて荷棚が設置された引退間際の仕様、車内の様々な表示がスペイン語で書かれたアルゼンチン仕様と、車内は3両とも異なる別々の姿で公開された。見学者は興味深く外観と車内の隅々まで眺め、細かいところを丹念に撮影をしていた。
次なる目標は、自力で走行可能な状態にすること
500形は、帰国時とは見違えるような美しい姿となったものの、動くことはできない。展示場所までは、車両移動機の力を借りての移動だった。1次補修が完成したので、次なる目標は、自力で走行可能な状態とすることである。外観だけでは分からない床下にある機器の状態をチェックし、今では使っていない部品の交換、アルゼンチンでの走行が可能なように電気的な配線の改造や変更が数多くあるので、日本で使えるかチェックしたり、使えない場合はそれを元に戻したり、など難しい作業の連続なのである。ひとつひとつ克服しての補修作業となる見込みであり、完成がいつとは、現状では断言できないそうだ。
動態復元(動く状態での復元)作業が終了したら、走行シーンを公開し、あるいは一般客が乗車することは可能となるのだろうか? これについても、難問山積だ。車両基地内での走行は実現しそうだが、丸ノ内線の線路を走るには極めて高いハードルが待ち構えているからだ。
地方のローカル線と異なり、昼間でも4分間隔で電車が走る丸ノ内線。過密ダイヤにイベント走行する電車を割り込ませて走らせるのは極めて難しい。また、500形は、現在の最新型のATCといった保安装置に対応していないので、機器の改造を施さなくては丸ノ内線の線路を走ることは不可能だ。
難問山積だが…丸ノ内線の線路を走らせる「夢」はある
にもかかわらず、一度は本線上を走らせたいという「夢」はあるという。丸ノ内線は、地上区間が何カ所もあり、四ツ谷駅付近では、春には満開の桜の脇を走る。慣れない異国での仕事を終え帰郷した500形を温かく迎えるのに、これほど適したシチュエーションは他にあるだろうか?
東京オリンピックが開かれる頃にでも、動態復元なった500形が、青空のもと、都内を走る姿を見てみたいと誰もが思っている。多くの困難を乗り越え、夢が叶う時を、首を長くして待ちたいものである。
取材協力=東京メトロ