原因不明の出火から8年、再建し復活へ
平成21(2009)年に原因不明の出火により焼失し、再建工事が進められていた神奈川県大磯町の「旧吉田茂邸」が、4月1日より公開となる。
戦後、通算5期にわたり首相を務め、日本国復興の礎(いしずえ)を築いた吉田茂(1878~1967)が本邸とし、昭和42(1967)年に亡くなるまで住んだ場所とあって、その公開には注目が集まっている。本稿では、旧吉田茂邸の歴史や見所を解説する。
旧吉田茂邸の歴史―計8回にも及ぶ増改築
旧吉田茂邸は、明治17(1884)年、養父で横浜の豪商だった吉田健三が建てた別荘がもととなっており、大磯町郷土資料館によれば、その後、健三の跡を継いだ吉田茂の手により、およそ8回の増改築が行われたという。
吉田は、昭和19(1944)年頃からこの地に住み始め、昭和20(1945)年には大磯を本邸と定めた。そして、昭和20年代、吉田が首相だった時代に、建築家・木村得三郎(きむらとくさぶろう 1890~1958)の設計により応接間棟(1階部分が応接間、2階部分が書斎)と玄関、食堂が建てられた。
続いて、昭和30年代には、新館と呼ばれる棟が、近代数寄屋建築で有名な建築家・吉田五十八(よしだいそや 1894~1974)の設計により増築され、その際、玄関、食堂も改築された。
吉田五十八の設計による部分は、京都の宮大工による豪壮な総檜造りで、旧吉田茂邸の外観の主要部分を成している。
首相退任後も、吉田のもとを訪れる政財界の要人は絶えることなく、その様子から「大磯詣」という言葉も生まれた。また、昭和41(1966)年には、当時、皇太子だった今上天皇と皇太子妃であった美智子様が邸宅を訪れたこともある。
そして、昭和42(1967)年10月20日、吉田は新館の寝室「銀の間」で息を引き取り、終焉の地となった。
再建工事と一般公開の見所
旧吉田茂邸は、平成21(2009)年3月、原因不明の出火によって焼失する。
この事態を受けて大磯町は「大磯町旧吉田茂邸再建基金」を設置し、寄付を募り、基金が一定額に達したことから、平成24(2012)年に神奈川県と協定を結び、再建事業が具体化する。
その後、平成27(2015)年に再建工事がスタートし、平成28(2016)年に工事が完了。総工費は、5億4000万円。
今回の再建工事では、大正時代に建てられ、焼失時も存在していた建物は再建せず、応接間棟、玄関、食堂、新館部分のみを再建工事の対象とし、これに付随する形で、休憩コーナーや事務室、エレベーターなどを設置した。また、地階に存在したワインセラーも再現せず、研修室とした。
工事に当たっては、焼失前の旧吉田茂邸を可能な限り再現することを目的とした。建材には天然素材を多く用いたため、品質規格では表現できない色調・風合い等を目で実際に確認しながら材料を選定した。また、焼失前の仕様を再現するため、当時の写真と見比べながら作業を行った。
旧吉田茂邸は、大磯町郷土資料館の分館として、博物館法に基づいて公開される。大磯町郷土資料館館長(学芸員)の國見徹氏は、「(焼失当時の姿を)再現した建物自体が博物館としての展示資料。吉田茂が生活した空間を体験して欲しい」と話す。
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■旧吉田茂邸
住所:神奈川県中郡大磯町国府本郷
TEL:0463-61-4700(郷土資料館)、0463-61-4777(旧吉田茂邸)
公開時間:9:00~16:30(入館は16:00まで) 。庭園は17:00まで
入館料:大人500円、中高生200円、小学生以下無料。庭園は無料
休館日:毎週月曜(月曜が祝日の場合は翌火曜)/毎月1日/年末年始。2017年4月1日、3日は臨時開館
アクセス:JR東海道線「大磯」駅下車、バス「二宮駅」行・「国府津駅」行・「湘南大磯住宅」行で「城山公園前」下車
公式サイト:旧吉田茂邸(大磯町郷土資料館)