不正会計事件よりも厳しい状況に立たされた東芝

東芝
半導体事業の分社化も検討している東芝(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

昨年末に米国原発事業子会社の大型赤字見通しを公表したことで債務超過の危機が噂され、その再建策を巡って揺れに揺れている東芝。一昨年発覚し世間を大きく騒がせた組織ぐるみの不正会計事件からようやく回復の軌道に乗り始めていた折も折、企業の存続すらも危うくするある意味では前回以上とも言えるこの大事件はなぜ起きたのでしょうか。
 

組織経営としての「先読みの甘さ」が目立つ

主要メディアの論調では、今回の問題の根源として東芝の組織経営としての先読みの甘さを指摘するものが目立ちます。東芝が米国原発事業子会社ウエスチング・ハウス(以下WH社)を買収したのは、2006年のこと。高い買い物との批判はあったものの、原発ビジネスを将来にわたる事業の柱に確立させる一手として、バラ色の未来予想図が描かれていました。
 

不幸な転機は、11年3月の東日本大震災による福島第二原発の事故でした。この世界を震撼させた衝撃的な大事故を機に、安全性が著しく揺らいだ原発ビジネスは、大きな転換期を迎えます。ドイツの世界的総合電機メーカーであるシーメンスは、同年いち早く原発ビジネスからの撤退を表明。アメリカの多国籍コングロマリットGEもビジネス規模縮小方針を打ち出し、事業規模はピーク時の1割にも満たないレベルにまで縮小しています。
 

世界の企業が撤退する中、事業拡大を目論むも…

シーメンスやGEの判断理由は明快です。福島第二の事故を機に各国の原発安全監視機関の管理が厳格化したことに他なりません。例えば米国では、原子力規制委員会(NRC)が原発工事のチェックに頻繁に訪れるようになり、そのたびごとに工事は長期停止状態に。工期は想定不可能となり、真っ当なビジネスとして成立しなくなっているのだと言います。
 

そんな状況下にあってなお東芝と子会社のWH社は、世界的な大手各社の撤退、縮小姿勢を尻目に、事業拡大を目論んで一昨年原発工事会社ストーン・アンド・ウェブスター(以下S&W社)の買収を決行します。売主のシカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン社もまた、原発ビジネスの工期遅延に起因する先行き不透明感に嫌気して同社を売りに出したものでした。今般のS&W社の巨額の損失発生は、原子力ビジネス業界に関わる人たちにとっては、至極常識的な成り行きであったのだと言われているのです。
 

事なかれ主義、官僚的管理…事件は「大企業病」が招いた

一言で申し上げて、東芝経営陣の想像力のなさに呆れてしまうようなお話ではないでしょうか。世界に冠たる大企業が皆、大きなリスクを感じて撤退、縮小を決め込んだ原発ビジネスに積極姿勢で取り組み、不正会計事件発覚の後もこれを東芝立て直しに向けた二大事業のひとつとして位置づけてきたのですから。このまま突き進んだ場合にどのようなリスクが待ち受けているのか、東芝は真剣に想像することができなかったのです。
 

先の不正会計事件も根っこは同じです。「チャレンジ」の名の下で平然と行われてきた、組織ぐるみの粉飾決算は、経営陣はじめ組織構成員の想像力の乏しさすなわち危機管理意識の希薄さが招いたものと言え、東芝という会社組織の風土病に他なりません。このような不正に手を染めたらどのようなことになるのか、今回と同じようにやはり真剣に想像することができなかった結果が、あの大事件を招いたのです。
 

両事件にはまた、組織風土が生んだトップを頂点とする派閥争いが複雑に絡んでいると、多くの関係者が証言しています。すなわち、対立する複数の陣営が自分たちの失策を表に出すまいとして事実を隠蔽し問題のもみ消しをおこうことで、傷をより大きく深いものにしてきたと言うのです。事なかれ主義の官僚的管理に起因する大企業病、ここに極まれり。もはやトップの交代だけでは、どうにもならないところにまで来ているのは明白です。
 

同じく倒産寸前だった「日産」に学ぶこと

東芝は今、原発事業と並ぶもうひとつの柱である半導体事業の分社化を軸とした救済策が検討されていますが、問題の本質はそれでは解決されないでしょう。最も必要なことは、相次いで起きた二つの大きな事件から明確になった、組織に失われた危機感をいかに醸成させるかです。ひとつの大企業病からの組織再生のヒントは日産自動車にあるのではないでしょうか。
 

90年代後半に大企業病による組織的危機感欠如の果てに倒産寸前にまで追い込まれた同社を救ったのは、外部しかも海外という全く異なる組織文化で育ったカルロス・ゴーン氏でした。「外の血」をトップに迎えての組織風土改革「日産リバイバルプラン」の名の下、ゴーン氏の大なたふるいにより日産は新たな組織風土を作り上げ、見事に復活しました。東芝が限られた時間の中で、いかに危機感をもって再生に向け歩み出せるか。「外の血」の導入がそのカギを握っていると思われます。