本作は「あやかし(妖)と人間が共存する世界」を舞台とし、「あやかしから“花嫁”としてみそめられることが“最高の名誉”とされる価値観」がまかり通った中での物語。それらのファンタジー要素に説得力を持たせた衣装や画作りも大きな見どころとなっていました。
『シンデレラ』的な物語を「問い直さなければいけない」という感覚があった
さらには、「家族に虐げられていた女性が、権力を持つ美しい男性に出会い救われる」序盤の流れは、まさに『シンデレラ』そのもの。原作やコミック版は、そのシンデレラストーリーを「女の子の夢」をかなえるかのように、ストレートに届けていた作品でした。 もちろん、映画でもその流れは踏襲されているのですが、実際の本編を見ると、その『シンデレラ』的な価値観を決して「全肯定」はしない作品になっていました。実際に池田千尋監督はCINRAに掲載されたインタビューで、以下のようにはっきりと表明されているのです。「王子様的な存在を、現代の若い女性は素直にうれしいとは受け取れないのではないか」「女性は守られるものだという固定観念は、いまの時代に問い直さなければいけない」という作り手の意志は、吉川愛演じる大学生の東雲柚子、永瀬廉演じる鬼の一族の次期当主・鬼龍院玲夜という、2人の主人公の描き方にはっきりと表れていたと思うのです。内容に触れつつ解説しましょう。原作には、「王子様が運命的に助けにきてくれる」というシンデレラ的な物語構造がたしかにあるんですね。でも映像としてリアルに表現したときに、普通に生きていた女性のもとにある日突然王子様的な存在が現れて、「あなたはお姫様です、一緒に来てください」と言われたとして、現代の若い女性がそれを素直に嬉しいと受け取れるだろうかということについて考えたんです。
(中略)
それと、シンデレラ的な物語には、女性は守られるものだという固定概念があったと思うんです。それをいまの時代に問い直さなければいけない、という感覚もありました
吉川愛が熱演する柚子は、原作よりも「意志を強く表明する」女性に
原作およびコミック版の柚子は、家族から虐げられていることはもとより、高校生であり未成年の子どもだと自覚していることもあって、「自分を肯定してくれる存在」を求めていた、かなり受け身な印象があるキャラクターでした。例えば、自身を花嫁だと言ってきた玲夜に対して「まだ実感は湧かないが、あんなに美しい人に愛すと言われて舞い上がらないわけがない。なにより柚子が欲しかったものをくれると言うのだ」などと、戸惑いつつも「まんざらでもない」心理もはっきりと描かれていたのです。
しかし、玲夜から花嫁だと言われたことに対しては、「玲夜さんのことを何も知らない」「他人に甘えられない」などと、彼の言動を受け入れることをほぼほぼ拒絶していますし、さらに玲夜から「大学なんて無理に行く必要はない」と言われると「なんでそんな勝手に!」と、ほぼ怒りの感情を露わ(あらわ)にしたりするのです。
映画での柚子は、生き地獄のような環境から解放しようとしてくれることには感謝をしつつも、人生の全てをコントロールするような言動にははっきり「No」と言うバランスになっているのです。自分の意志をはっきりと表明する彼女に共感し、心から応援できる人はきっと多いでしょう。
そして、「弱々しく見えるけど実は芯の強い」柚子を、吉川愛はこれ以上はないほどに熱演されていたと思います。先にあげたCINRAの記事では、柚子がひどい仕打ちをする家族から離れられないことも、吉川愛は「(自分を虐げてきた)妹のことも大事に思ってる。家族からどんなひどい仕打ちを受けても、簡単には諦められない」と分析しています。



