2006年9月6日、皇室に41年ぶりの男子が誕生
「ごくろうさんでした——」「帰ってまいりました……」
その日午前、手術室で無事に出産を終え、病室に戻った紀子さまを秋篠宮さまは温かく迎えた。笑顔で答えた紀子さまの言葉にようやく訪れた、深い安堵感が感じられた——。
2006年9月6日午前8時27分、秋篠宮ご夫妻に男の子が生まれた。身長48.8センチメートル、体重2558グラムの親王さまだった。
皇室にとっては1965年11月30日、秋篠宮さまが生まれて以来、じつに41年ぶりとなる男子の誕生。国民は大きな喜びに満たされた。
現行の皇室典範では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められており、女性皇族は天皇になれず、結婚すると皇室を離れることになる。
こうした男性優位の皇室にあって1969年4月18日、秋篠宮さまの妹である黒田清子さんが誕生してから、2001年12月1日、天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さままで、じつに連続して9人の女性皇族が生まれ、皇位を安定的に継承する上で危機的な状況が続いていた。
このとき、紀子さまは39歳で、現皇室の最高齢出産となった。紀子さまは1966年9月11日生まれなので、5日後に40歳の誕生日を迎えた。皇后雅子さまは、愛子さまが生まれたとき、37歳で8日後に38歳となった。もし、第二子を出産していれば、現皇室の最高齢出産を更新していたかもしれない。
報道によると、東京都港区の愛育病院に入院していた紀子さまは、胎盤の一部が子宮口をふさぐ「部分前置胎盤」だったため、予定日より約20日早い帝王切開での出産となった。帝王切開手術は、この日午前8時23分に始まり、同9時7分に終了した。
予想外の大量出血などもなく、「母子ともに手術後の経過も順調」(医師団)で、手術室を出た紀子さまを秋篠宮さまが優しく出迎えた。
それが先ほどのやりとりで、「ごくろうさんでした」と、殿下がねぎらうと、紀子さまは「帰ってまいりました」と、明るく答えたのだった。
性別は知りたくない。ご夫妻が貫いた“意思”
9月6日午前、執刀した主治医の中林正雄・愛育病院院長と宮内庁の金沢一郎・皇室医務主管がそろって記者会見し、出産前後の親子3人の様子などを説明した。主なやりとりは次のようなものだった。
記者「お子さまと紀子さまの状態は」
中林院長「大変お元気でいらっしゃる。妃殿下には手術終了時に“これで手術は無事に終わりました。(気分は)いかがですか。おめでとうございます”と申し上げたところ、“大変ありがとうございました。気分も良好です”と話されていた。順調に回復過程にある」
記者「出産後の秋篠宮さま、紀子さまの詳しいご様子を」
金沢皇室医務主管「“本当におめでとうございました。親王さまです”と申し上げても殿下は非常に淡々と、“ありがとう”と話されていた。平静心を失われない方だと驚いた。
手術室から出て来られる妃殿下を殿下が迎えに行かれた。“ごくろうさんでした”という問いかけに、妃殿下は“帰ってまいりました”と、話されていた」
日頃から、冷静沈着な殿下の素顔を知る者のひとりとして、「平静心を失われない方だ」という金沢医師の指摘に、「さもありなん」と、思わず納得した。
記者「秋篠宮さまがお子さまに会われたときの様子は?」
金沢皇室医務主管「保育器に入った新宮さまと対面し、非常にものめずらしそうに見ていらっしゃった。お子さまは“おぎゃあ”と、おっしゃいました」
この言葉にも私は納得した。「非常にものめずらしそうに見ていらっしゃった……」というときの殿下の表情が思い浮かんできて、なんとも微笑ましい。
記者「秋篠宮ご夫妻は事前に性別などの情報をお持ちだったのか?」
中林院長「性別や障害などの情報は、両殿下ともお知りになりたくない、という話だったので超音波の医師にも伝え、医師団の誰も正確な情報を持っていなかった」
金沢皇室医務主管「両殿下とも単に知りたくないということでなく、どんな状態の子どもであっても、自分たちの子どもだから受け入れたいんだというお気持ちが非常に強い。今までもそうだったし、今回もそうだった。非常に感銘深かったので、お伝えしたい」 この書籍の執筆者:江森 敬治 プロフィール
ジャーナリスト。1956年生まれ。早稲田大学卒業後、1980年、毎日新聞社に入社。京都支局、東京本社社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て、 2022年3月末、退社した。秋篠宮さまとは長年の個人的な親交があり、著書『秋篠宮』(小学館、2022 年)が話題となった。このほかに、『秋篠宮さま』(毎日新聞社、1998年)、『天皇交代 平成皇室8つの秘話』(共著、講談社、 2018年)などがある。



