児童労働搾取で作る金メダル
2017年、全紅嬋の母親は出稼ぎ先で交通事故に遭った。しかし貧困のために適切な治療を受けられず、後遺症に苦しんでいた。また病気の祖父もおり、農民の父親は、その介護のために十分に働けなかった。結果、一家はさらに困窮……。全紅嬋は、自分に支給される食費などを削って、家に送金していたという。彼女は「遊園地にも動物園にも行ったことがない」とも語っていた。
そんな彼女は、2018年に11歳で広東省飛び込みチームに選出され、2020年10月、初めて全国大会に参加した。そして、早くもこの大会で、オリンピック予選への参加資格を得たのだ。
オリンピックの飛び込み選手は14歳以上という年齢制限がある。東京オリンピックがコロナ禍のせいで1年延期にならなかったら、彼女は年齢的にいって、オリンピックに参加するチャンスはなかった。しかも東京オリンピックは、彼女にとって初めての国際大会。なんというシンデレラストーリーであろう。
こうして一夜のうちに国家の英雄になった全紅嬋の実家は、翌日から、お祭り騒ぎとなった。まず地元の企業3社が、住宅と売店用の店舗を、そして20万元(約400万円)の寄付を申し出た。「売店主になることが将来の夢だ」と、全紅嬋は、テレビインタビューで語っていたのだ。
彼女は駄菓子の辣条(ラーティアオ、小麦粉と唐辛子をこねて揚げたもの)が好物なので、もし自分で売店を経営することができれば、それをいつでも食べられる、というわけだ。
全国のファンや企業から、100箱以上の辣条も送られてきた。遊園地の1年間優待パスなどもプレゼントされた。湛江市衛生健康局と広東医科大学附属病院の代表は、8月6日、彼女の祖父が入院する病室に慰問に行き、祖父と母親の治療に全面的に協力することを保証した。
が、一夜でこれほど変化した事態に素朴な父親は戸惑い、結局、「娘の栄誉を消費したくない」という理由で、こうした寄付はすべて拒否した。日本人の中国人観からすると、意外な対応を取ったといえるのではないか。
カリフォルニア在住の華人評論家・方舟子(ほうしゅうし)はツイッター(現X)で、全紅嬋についてこう投稿していた。
「14歳。日常的な質問も聞き取れない(広東人の彼女は普段は広東語使用者で、普通話(プートンホワ)があまり聞き取れず、記者からの質問にキョトンとしていることがよくある)様子を、なぜ可愛いと思うのか。ただ悲しいだけだ。
子ども時代がなく、(母の病名など難しい漢字が読めないなど)基礎教育も受けておらず、訓練によって飛び込みマシーンにされて、母親のために金を稼ぐ。これは童工(児童労働)とどこが違うのか?このほかに、金メダリストになり損ねた童工がどれほどいるのか?」
敗者に厳しい国、それが中国
この方舟子のコメントには、中国人ネットユーザーが、「才能を活かしてなぜ悪い? 勉強ができなくてもいいではないか」と一斉に嚙(か)みついた。だが、こうした反論者は、彼女の背後に、途中で挫折し、時には怪我などで重い障害を負って農村に帰される者の姿が見えていない。
そうした者たちは、すでに義務教育の機会を失い、人生のやり直しすら許されない。こんな敗者の境遇には関心がないのだ。
中国は、本当に、敗者に厳しい国である。
2021年の東京オリンピック・パラリンピックでも、ネットを通じて選手を応援した中国人ネットユーザーは、これまで以上に敗者に厳しかった。挙国体制で育成される選手は、勝てば国家の宝。だが、負ければ国家の恥、非愛国者、非国民と見做される。
たとえば卓球混合ダブルスで、水谷隼・伊藤美誠ペアに負けた許昕(きょきん)・劉詩雯(りゅうしぶん)ペア、バドミントン男子ダブルスで台湾ペアに負けた李俊慧(りしゅんけい)・劉雨辰(りゅううしん)ペアも、一部の中国人ネットユーザーから、「国家を敗北させた」 「国家の恥」 「寝てたのか、クズ」などと、激しい罵声を浴びせられた。
卓球混合ダブルスの決勝のあと、劉詩雯がテレビカメラに向かって号泣しながら、「チームを失望させた、ごめんなさい」と謝罪したのは、決して大袈裟なことではなかったのだ。
中国の挙国体制による選手育成は、たしかに1夜にして富と栄誉をもたらす。しかし、それは児童が本来受けるべき家庭の愛情や庇護から切り離された場所から生まれる。
虐待にも似た厳しい環境下で特訓を受け、敗者たちの屍(しかばね)の上でつかんだ、ほんの一握りの例だ。
しかも、こうして多くの犠牲の上に得た栄誉も、実は選手個人のものではない。国家が利用するためのものなのである。中国のオリンピック選手は、権威主義体制の生贄(いけにえ)といってもいいだろう。 この書籍の執筆者:福島香織 プロフィール
奈良県に生まれる。大阪大学文学部卒業後、産経新聞に入社。1998年から中国・ 復旦大学に留学。2001年、香港支局長。2002 〜08年、中国総局特派員として北 京に駐在。2009年、産経新聞を退社、フリーに。中国の政治・経済・社会をテ ーマに取材を続ける。主な著書に、『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP 研究所)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房)、『習近平の 敗北 紅い帝国・中国の危機』(ワニブックス)などがある。



