小学生の暴力が過去最多の皮肉。「いい子」に育てようとした親が、知らぬ間に奪ったもの

ノンフィクション作家・石井光太さんは著書『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』で、現代のいじめと暴力が増加する背景を分析。本記事では、その中から「校内暴力の急増」に関する内容を抜粋して紹介します。(画像出典:PIXTA)

画像はイメージ(画像出典:PIXTA)
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現在の日本の小中高校で、子どもたちによる暴力行為が右肩上がりに増加しています。特に低学年の増加率が高く、小学1年生による暴力は10年間で10倍以上に増加しています。

ノンフィクション作家・石井光太さんは著書『傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害』(CEメディアハウス)の中で、昔の校内暴力は「不良グループ」による計画的なもので、ある種の「反抗」の表現だったけれど、今は、些細なことで激高し、衝動的に手を出す「幼稚な暴力」が目立つようになっていると言います。

では、なぜ小学生の暴力が急増し、その内容が「幼稚化」しているのか。その背景には、子どもたちの「精神年齢の低下」があると言います。つまり、かつて年少や年中クラスにいるような未熟な子どもたちが、そのまま小学校に上がってきているのです。

本記事では、未熟で暴力的な子が増加している原因の一つ、「コミュニケーション能力の脆弱さ」に注目。 なぜ今の子どもたちは「人との付き合い方」を学べないまま小学生になってしまうのか。本書より抜粋し、意外な「ある経験」の欠如について解説します。

付き合い方を知らない子どもたち

現在の子どもたちに見られる傾向としてあるのが、コミュニケーション能力の脆弱さです。

どうしてコミュニケーションの力が弱くなっているのか。小学校の先生方によれば、進学する前の生活の中で、他者との付き合い方を学ぶ機会が減っていることが原因だということです。

そもそも人は、コミュニケーション能力を生まれながらにして身につけていません。どの子どもも生後間もない頃は、言葉を満足に話すことも、物事を細かく考えることもできないので、泣きわめくことで自己主張をします。お腹が空いた時、オムツの交換をしてほしい時、眠気に襲われた時、そのつど言葉ではなく、泣くことで訴えかけるのです。

保護者や保育園の先生は、それを100%受け入れてくれる存在です。そして最初は泣くだけだった子どもも、1歳、2歳と年齢が上がるにつれて少しずつ言葉を覚え、「まんま(ご飯)」と言ったり、「ねんね(眠い)」と言ったりするようになっていきます。言葉によるコミュニケーションのはじまりです。

3歳を過ぎたあたりから、子どもたちは保育園、幼稚園、公園、児童館、レジャー施設、習い事などを通して、不特定多数の他者と接するようになります。この頃には彼らもだいぶ語彙を獲得しているので、自分でコミュニケーションを取ろうとします。

とはいえ、この年代の子たちは、大人のように人付き合いに慣れていません。そのため、お互いに意思の疎通がうまくいかず、相手と衝突してしまうことがあります。友達に遊具を取られて衝動的に叩く、遊びのルールを破って注意される、人が大切にしていた物を壊す……。

こうしたことが起こるのは、子どもの成長段階を考えれば仕方のないことです。だからこそ、トラブルになった時に、保護者や園の先生が介入し、仲裁してもらい、今後は何をどうすればいいのかを教えてもらう必要があるのです。

この段階を越えると、子どもたちは、大人の力を借りず、自分自身で失敗を乗り越えることによってコミュニケーション能力を磨いていきます。

10人くらいで意見を出し合いながら何の遊びをするのかを決めていく、トラブルが生じた時に話し合って解決する、帰りが遅くなった時に親にする言い訳を考える。

大人に頼らず、自分でなんとかしようと思うからこそ、言葉で気持ちを表現する力だけでなく、リーダーシップ、思いやり、協調性といった能力がバランスよく育っていくのです。

子どもたちは雑多な人間関係の中でこうした経験をつむことで、他者との適切な距離というものを把握し、少しずつ人と上手に接するようになります。

トラブルになることもあるので、保護者からすれば心の休まらない時期ではありますが、この年齢の子たちが友達とぶつかるのは、それによってコミュニケーションの土台となる力を磨いていることに他なりませ
ん。

一連のプロセスをしっかりと経た子は、6歳くらいの頃には理性的な言動が身につくようになります。小学生が教室でみんなと机を並べて黙って授業を聞いたり、行事で規律に従って動いたりすることができるのはそのためです。

ところが、現在の子どもたちは、社会環境の大きな変化によってこのような経験を十分につむことができなくなっています。社会性を身につけるための経験値を得られないまま大きくなっているのです。

要因は無数にありますが、一つ象徴的なものを挙げるとすれば、“雑多な人間関係の中での自由な遊び”の不足でしょう。

子どもの“自由な遊び”が消えた時代

東京都の小学校の先生は、こう話しています。

「乳幼児にとっていろんな他人と過ごすという行為は、人とのかかわり方を学ぶ上で重要なものです。子どもたちだけでどれだけ一緒にいたかが、その子のコミュニケーション能力に直結してくる。私はそれを遊びの経験値と呼んでいます。

ところが最近の小学生は、その遊びの経験値にものすごくバラつきがあるのです。幼い頃から、親が意識して大勢の他人とかかわる経験をさせてきた子は高い経験値を持っていますが、そうでない子はとても幼稚です。そしてその幼稚な子の割合が、年々高まっているように思えてなりません」

昔は、子どもたちだけで公園や児童館で遊んでいました。そこには見ず知らずの年齢の違う子どもがおり、自分から「あーそーぼ」と言って輪の中に入っていき、みんなで何をするのか話し合いました。

一つの遊びに飽きれば、また相談し合ってルールを変えたり、別の遊びをしたりすることもあります。この中でコミュニケーション能力が磨かれていった。

今はどうでしょうか。

公園でも、道路でも、駐車場でも、未就学児が子どもたちだけで自由に遊んでいる姿を目にすることはほとんどありません。親が横についてトラブルにならないように監視しているか、家に引きこもってゲームを楽しんでいるか、英会話やスイミングスクールなど習い事をしているかです。

こうなった原因は親だけにあるのではありません。近隣住民からの騒音に対する苦情、公的施設の利用規制、さまざまなリスク回避のための管理の徹底といった社会的圧力もあるのです。

とはいえ、雑多な人間関係の中で、いろんな人とコミュニケーションを取って主体的に遊んできた子と、親が与えた習い事やゲームをこなしてきただけの子を比べれば、その経験値に大きな差が出るのは当然です。そうなれば、後者の子どもたちは経験値の低いまま小学校に上がることになり、それが生きづらさに直結するでしょう。
傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害
傷つけ合う子どもたち 大人の知らない、加害と被害
この書籍の執筆者:石井光太 プロフィール
1977年東京都生まれ、作家。 著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』など多数。
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