SNSでは「距離が近過ぎる」「失礼だ」といった批判も見られましたが、筆者には異文化理解に基づく高度な非言語コミュニケーションに映りました。むしろ、相手の文化に合わせて「身体で語る」外交センスの現れだと感じました。
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チリでスキンシップを拒むと「非友好的」
高市首相の「距離が近過ぎる」件について周囲のヨーロッパ人たちに印象を聞くと、「何が問題なの?」「普通なのでは?」という声が多く見受けられました。筆者は異文化交流を目的にチリ留学経験があるのですが、出発前のオリエンテーションでは「どんなに恥ずかしくても、頬へのキスは礼儀だから絶対に欠かさないように」と指導されたことが強く記憶に残っています。あいさつのスキンシップを拒めば「壁をつくっている」「非友好的」と受け取られるからです。
加えて現在勤めている企業では、同僚の多くがフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、ブラジルなどラテン系言語圏の出身で、ここでもスキンシップは日常の一部となっています。
朝は頬へのキスであいさつを交わし、仕事が終わると腰に手を回しながら「頑張ったね」と声をかけ合う、といった感じです。ヨーロッパでも同様ですが、とりわけラテンカルチャーでは、相手との身体的な距離を縮めることが親しみや信頼、チームスピリットの表れであることは間違いありません。
人は言葉より態度・雰囲気に影響される
また「異文化間コミュニケーション学」では、人間は言葉以外の要素──視線、表情、姿勢、声の抑揚、距離感など──によっても多くのことを伝えているとされています。アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱した、“人がコミュニケーションで相手に影響を与える要素”の割合を示した「7-38-55ルール」によると、感情伝達において言葉が担う割合はわずか7%、残りは聴覚からの情報(38%)と視覚からの情報(55%)に依存するとされています。つまり、人は言葉以上に態度や雰囲気に影響されるのです。
氷山の一角である言語情報よりも、その下に隠れている非言語的なサインの方が、より直接的に相手の潜在意識に作用するため、ビジネスや外交の場では握手の強さや笑顔の柔らかさ、肩へのタッチといった細やかなしぐさが、国益や信頼関係に大きく影響すると考えられます。
実際に「Hugplomacy(ハグ外交)」という言葉もあるように、抱擁によって親密さや信頼を示す身体的コミュニケーションを重視した外交スタイルも存在します。
これはアメリカのオバマ元大統領やフランスのマクロン大統領、インドのモディ首相などが用いたことで知られ、言葉以上に感情を伝える非言語的アプローチとして注目されてきました。
これらを踏まえると、高市首相のボディランゲージはハグ外交の流れを受け継いだものであり、スキンシップは友好の象徴であるというラテン・西洋諸国の文化的背景を十分に理解した上での行為だったと言えるのではないでしょうか。
天皇陛下の背中に手を添えた? トランプ大統領
ただし、相手によっては受け止め方が異なるため、温かいジェスチャーと受け取られる場合もあれば、距離感の欠如と見なされることもあります。例えばミシェル・オバマ(当時)大統領夫人が、2009年にエリザベス女王の肩に手をかけた時、「握手以外で女王の身体に触れるのは外交儀礼違反」と批判も起こりました。
また先日、トランプ大統領が天皇陛下に面会した際には、同氏が陛下の背中に手を添えたように見えたこともSNSで議論となっていました。日本側には「不用意なスキンシップは避けるべき」という不文律があるため、受け手が日本となった途端、国民の間で“ざわつき”が生まれたのでしょう。
つまり「触れる外交」は、相手の文化や役職、年代、ジェンダーなどによって成功と炎上の振れ幅の大きい、高難度なスキルといえます。
このように距離を取ることが礼儀とされる国や場面では注意が必要ですが、国際社会においては、距離を詰めることが好印象となる場面も少なくありません。文化によって「適切な距離」は異なりますが、高市首相のしぐさは、そうした多様な価値観を理解した上での「翻訳された礼儀」だったように思います。日本にも、ようやく非言語で世界と対話できる首相が現れました。その行為を演出と捉えるか、文化的知性と捉えるか──私たち国民の感受性も問われているのかもしれません。
この記事の執筆者:
ライジンガー 真樹
オーストリア ガイド
元CAのスイス在住ライター。南米留学やフライトの合間の海外旅行など、多方面で培った国際経験を活かして、外国人の不可思議な言動や、外から見ると実はおもしろい国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説記事を主に執筆。日本語・英語・ドイツ語・スペイン語の4ヶ国語を話す。
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