クマ被害が過去最多となっている2025年、「ブナの実の大凶作」も報じられています。つまり、クマにとって最も重要な時期に食糧が不足するという悪循環が生じているのです。
本記事では、小池氏の著書『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら〜ツキノワグマ研究者ウンコ採集フン闘記』(辰巳出版)から一部抜粋し、このドングリの凶作がいかに“ヤバい事態か”を深掘りするとともに、まだ謎の多いオスグマの一生を追う最新研究を紹介します。
クマは秋の3ヶ月間で1年の80%をまとめ食いする
私が山に入り、クマのウンコを拾い続けて20年以上が経った。これまで拾ったウンコの総数は論文になったものだけで2580個。論文にならなかったものや、ほかの動物のウンコを含めるとゆうに3000個を超える。そんなウンコ拾いの集大成ともいえる研究を紹介しよう。これは2003年から足尾に入り、私だけでなく学生も総動員して7〜8年かけて拾った多くのウンコからわかったことである。
GPS首輪が登場したことでクマの移動距離はかなり正確にわかるようになった。首輪を付けるときには体重も測っているので、消費カロリーも計算できることになる。
さらに、禿山になった足尾はほかのフィールドよりもずっとクマを観察しやすい。食事をしているところをビデオカメラで撮影すれば、例えば植物の葉を1分間に何枚食べたかということもわかる。これで1分間の摂取カロリーが推定できるのだ。
私たちは113時間クマの食事を録画して分析し、さらにこれまでに拾ったウンコ1247個からクマがそれぞれの時期に何をどれだけ食べたのかを割り出して、1日あたりの摂取カロリーを割り出した。
クマは春や夏にはアリやキイチゴを食べるものの、効率よく手に入れることができないので、消費カロリーが摂取カロリーを上回ってしまう。しかし秋になってドングリが実りだすと、摂取カロリーが消費カロリーを大きく上回るようになる。
トータルで収支を計算してみたところ、9月から11月にかけての3カ月間に、1年の80%のカロリー摂取量を食い溜めしていることがわかった。
ものすごい偏り方だし、1年をかけてつじつまを合わせられる体というのもすごいものである。そして、クマにとってのドングリの凶作がいかにヤバい事態かを再認識させられる結果である。
ところで、私たちはスマホのヘルスケア・アプリに自分の体重を入力し、位置情報と連動させることで消費カロリーを計算できる。中には食事のたびに摂取カロリーを入力してカロリー収支を客観的に把握している人もいるだろう。まさにそれと同じことが野生のクマにもできるようになったのである。最先端のテクノロジーと地道な作業の積み重ねによって。
四半世紀まじめにウンコを拾い続けてきてよかった。つくづくそう思う。
放浪するオスの行方
今、私の興味があるテーマは、オスの一生である。これまでの20年で、メスが1回に子どもを何頭産むのかや、おおよそ何年間隔で産むのかなどはわかった。つまりメスの一生についてはわかりつつあるのだ。しかし、オスの一生はまだ明らかになってはいない。一般に、母グマから生まれた子グマは、1歳半ごろまでは母グマとともに暮らしている。メスの子グマはその後も母グマと同じ場所で暮らすのだが、オスグマは母グマの元を離れ、遠く離れた場所へと移動する。これをオスの分散という。おそらく、分散するのは近親交配を避けるためなのだろう。
これまでは、奥多摩で捕まえた若いオスグマが何年かあとに埼玉県の秩父の宿泊施設の厨房に入り込んで駆除されたなどの断片的な情報があり、一生で何kmぐらい移動するのかは何となく見当がついていた。
オスの分散については、現在(※2023年時点)2つのアプローチで調べようとしている。1つはGPS首輪をオスに付けて、どこまで遠くに行くのかを見るという調査である。しかし、この調査は今のところ難航している。
オスの分散の様子を見るためには、亜成獣に首輪を付けなければいけないのだが、これが実はハードルが高い。というのも、亜成獣は成長途中なので、首輪を付けているとだんだんときつくなってしまうからである。
そこでドイツのメーカー製の首輪部分が蛇腹状になっていて、成長にともなって伸びる首輪を亜成獣に装着して調査を行ってみたのだが、うまく追跡することはできなかった。クマが首輪をつかんで引き伸ばして外してしまったのか、それともバッテリー切れか。とにかく、GPS首輪での追跡は今のところ意外にうまくいっていない。
ただ、もう1つの方法である遺伝子検査ではオスの分散度合いがわかるようになってきた。
足尾で20年間調査を行ってきて、そこで生まれたクマの遺伝情報はある程度蓄積されてきた。そして隣の群馬県では、農業や林業への被害を防ぐため駆除した500頭あまりのクマの遺伝情報をデータベース化している。それを足尾で集めた遺伝情報と比較するのだ。
すると、足尾で生まれて群馬に渡ったオスグマが特定でき、駆除された場所からおおよその移動距離を推定できるようになった。 この書籍の執筆者:小池伸介 プロフィール
ツキノワグマ研究者。東京農工大学大学院農学研究院教授。博士(農学)。専門は生態学。主な研究対象は、森林生態系における植物―動物間の生物間相互作用、ツキノワグマの生物学など。現在は、東京都奥多摩、栃木県、群馬県の足尾・日光山地においてツキノワグマの生態や森林での生き物同士の関係を研究している。1979年、名古屋市生まれ。著書に『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら〜ツキノワグマ研究者ウンコ採集フン闘記』(辰巳出版)など。



