増加する「非モテの独身男」の犯罪
実は多くの先進国では「非モテの独身男」を意味する「インセル」のテロや無差別殺人が増えており、近年は過激主義(暴力など極端な手段で世界を変革させるという考え)として取り扱われている。インセルとは「Involuntary celibate」(不本意の禁欲主義者)の略。もともとはネット上で使われていた言葉で、自分たちの問題を「女性」や「モテ男」のせいにする男たちだ。
つまり、分かりやすく言えば「自分が孤独で不幸なのは、イケメンや金を持っている男になびく女が悪い、こんな不平等な社会に復讐(ふくしゅう)してやる」という感じで憎悪を募らせている男性を指す。
2010年代に入ってからは主に欧米社会で、この「インセル」を名乗る人々が、車で歩行者を次々と跳ねたり、銃を乱射した無差別殺人に走ったりすることが深刻な問題になった。当初は個人的な八つ当たりと考えられたが、最近では「女性嫌悪、過激主義として取り扱いへ 英内務省が戦略見直し(BBC 2024年8月19日)」といったように、「政治テロ」にも発展すると各国が警戒をしている。
「へえ、やっぱり欧米社会は病んでいるねえ」と他人事のように感じる人も多いだろうが、実は日本でもすでにインセル犯罪は起きている。
例えば、2021年に小田急線の車内で20歳の女子大生に包丁で襲い掛かり、複数の乗客も切り付けた36歳の無職男。彼は初めに女子大生を狙った理由として「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」と述べている。
また、これと続く形で京王線の車内で映画「ジョーカー」のような扮装(ふんそう)をして刺傷事件を起こした24歳男性も、結婚の話を進めていた女性から「金銭的に余裕のある人がいい」と言われて婚約破棄されていた。また過去には、バイト先のマンガ喫茶で盗撮事件を起こし、刑事処分を受けたこともあった。「非モテの独身男」がジョーカーになった形だ。
そして実はもう1人、非常に有名な「インセル犯罪者」がいる。山上被告だ。彼が投稿した全てのSNSを分析した、成蹊大学の伊藤昌亮教授はこう述べる。
つまり、マスコミはあの事件を「旧統一教会への復讐」として盛んに取り上げたが、欧米社会の感覚に照らし合わせれば「非モテ男が極端な過激主義に走って、社会を逆恨みした暴力テロ」に過ぎないのだ。このテーマに関わる語で「女」などの一般的な語に次いで出現度が高いのは、「インセル」(「非モテ」を表す英語圏のスラング)「呉座」「フェミニズム」「フェミニスト」などだ。これらの語を多用しながら彼は、いわゆる弱者男性論を展開し、フェミニズムを強く批判している(現代ビジネス 2022年8月12日)
山上被告は、「悪を倒した英雄」か?
だから、欧米社会でもしこういう事件が起きても、山上被告の思想や生い立ちなどはほとんど紹介されない。トランプ氏を銃撃して、SPに殺害された男性が何を考え、何を訴えていたかなどアメリカのメディアは報じない。ニュージーランドでムスリム50人を無差別に殺害した犯人など名前も報じられなかったし、裁判の中継でも顔にモザイクがかかった。
テロ犯の「人間性」にフォーカスを当てると必ず同情・共感の声が一定数上がり、模倣犯が次々と現れることが分かっているからだ。
しかし、日本のマスコミはそういう「常識」とかけ離れた報道をしてしまう。2022年7月8日以降、山上被告の半生、思想、そして彼が何に悩み何をしたかったのかをスタジオに立てた大きなパネルを使って深掘りをした。「過激主義に走った非モテ独身男」が日本の闇を暴き、悪を倒すヒーローに「格上げ」された瞬間だ。
今の日本に不満を募らせる「インセル」の中にはこう思った人もいただろう。街で無差別刺傷したり、ジョーカーのコスプレをして電車に火を付けたりするよりも、山上みたいなことをやればワンチャン世界を変えた英雄になれるじゃん——。
日本政府とメディアは、自分たちがとんでもない「パンドラの箱」を開けてしまったことを、反省すべきだ。
この記事の筆者:窪田 順生
テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経てノンフィクションライター。また、報道対策アドバイザーとしても、これまで300件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行っている。