「そ(十)ば(八)」と読めること、また10月が新そばの季節であることにちなんで制定されました。
今回は、年越しにそばを食べるのはなぜか、うどんも出すそば屋が多い理由など、そばの豆知識をご紹介します。
年越しにそばを食べるのはなぜ?
元々は年越しだけではなく、毎月の月末にそばを食べる「晦日(みそか)そば」という習慣が江戸の商人たちの間で親しまれていました。当時は、ツケ払いの締め日である月末が集金や棚卸しで大忙しだったので、ゆで時間が短くて出前がすぐ届き、伸びにくくて素早く食べられるそばがぴったりだったのです。
時代がたつにつれて毎月末に食べる風習は廃れていき、大きな節目である大みそかに食べる年越しそばだけが縁起担ぎとして残り、広まったとされています。
縁起担ぎの意味は諸説あり、そばのように細く長く家運や寿命を伸ばしたい、切れやすいそばのように1年の苦労や厄災を切り捨てたい、金銀細工の職人たちが飛び散った金銀の粉を集めるのにそば粉を使っていたことにあやかって金運を呼びたい、などさまざまな説が残されています。
うどんも出すそば屋が多い理由は?
室町時代、うどんは庶民の代表的な食べ物として親しまれていましたが、そばは現在のような麺状に切った「そばきり」ではなく、団子状の「そばがき」が一般的でした。正式な元祖は定かではありませんが、うどん屋の一つが他店と差をつけるために「そばきり」をメニューに加えたところ評判となり、両方を売るようになったとされています。
江戸時代になるとそばが人気になり、多くのうどん屋がそば屋に転身しましたが、うどんもそのままメニューに残しました。
その名残で、現在でも老舗そば屋の多くがうどんも提供しています。
「もりそば」と「ざるそば」の違い
江戸時代の中期、それまではそばをひと口ずつつゆにつけて食べていましたが、その面倒を省くため最初からつゆをそばにかけて食べる「ぶっかけ」が登場しました。ぶっかけと区別するために、それまで主流だった器に盛って提供する方を「もりそば」と呼ぶようになりました。
しかし、もりそばに対して、盛った器の底に水がたまるために最後が水っぽくなってしまうことに不満を持つお客が現れたそうです。
そこで現在の江東区にあった「伊勢屋」というそば屋が、最後までおいしく食べられるように竹のざるに乗せて提供して人気になりました。これが「ざるそば」の始まりです。
明治時代になると、もりそばと区別して高級感を出すため、ざるそばの方に刻んだのりをかけたり、つけつゆにみりんを入れて濃くしたりと、さまざまな工夫を凝らすようになりました。
現在では器の違いをつけず、専用のつゆを出す店も少なくなったため、もりそばとざるそばの主な違いは「のりがかかっているかどうか」になっています。
かけ、もり、ざるなどさまざまな楽しみ方があるそば。この機会に食べてみてはいかがでしょうか。
この記事の筆者:石川 カズキ
1984年沖縄県生まれ。筑波大学人間学類卒業後、会社員を経て芸人・作家・コピーライターに。エレキコミック・ラーメンズを輩出した芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属。第60回宣伝会議賞コピーゴールド受賞、LOFT公式YouTubeチャンネル「コントするイシカワくん」シリーズのコント台本・出演、KNBラジオCMコンテスト2020・2023協賛社賞受賞など。お仕事があればお気軽にご連絡ください。AIから仕事を奪うのが目標です。