実はかなりの親日国ポーランド! 現地の観光地を巡りながら「日本の印象」を聞いてみた
東欧のポーランドは実は知られざる親日国です。先ごろ、プレスツアーに参加し、ワルシャワやグダンスク、トルンなどポーランド各地を巡りながら日本に対する印象を現地で聞いてきました。美しいポーランドの様子と合わせて紹介します。
東欧のポーランドってどんなイメージがありますか? 音楽好きには作曲家ショパンの生誕地として有名でしょう。ほかにコペルニクスやキュリー夫人など歴史的な人物を輩出した国でもあります。17の世界遺産があり、観光的にも見どころが多い国です。
そんなポーランド、実は親日国でもあります。今回、ポーランドを巡るプレスツアーに参加し、現地の人たちに日本のイメージを聞いてみました。美しいポーランドの様子と合わせて紹介します。
日本は不思議な国!?
今回、最初に訪れたのは、北ポーランドの港町、グダンスクです。ポーランドはかつてヨーロッパ最大の王国として栄えた時代もありますが、ロシアやドイツの大国に挟まれ、何度も分裂や消滅を繰り返し、複雑な歴史を歩んできました。グダンスクは、ドイツの攻撃により、第2次世界大戦が勃発した街です。
グダンスクでお世話になった観光ガイドの女性はイギリスで日本語を勉強したそうで、仕事用のリュックには扱える言語として「少し日本語」というかわいい記載がありました。
「日本は私にとってポジティブな意味で、不思議で謎めいた国です。ほかの国とはまったく違いますね。日本には3度行ったことがありますが、仕事がとても丁寧な印象があります。それから公園などもきれいですよね」とガイドさん。
彼女が案内してくれたグダンスクも、とても美しい街です。第2次世界大戦によって歴史地区の約80%が焼失しましたが、戦後に市民が再建。ゴシック様式の教会やルネサンス様式が混在する美しい街並みの裏にある歴史を思うと、なんだかぐっときます。
ちなみにポーランドの親日の理由としてよく聞くのが、1920年代にシベリアのポーランド人孤児を日本が救済して帰国させたというエピソード。孤児たちが帰国したのもここグダンスクの港からでした。
ほかには第2次世界大戦中にリトアニアの日本領事代理だった杉原千畝氏がユダヤ系ポーランド人にビザを発給した結果、ナチスの迫害を逃れて日本経由でアメリカなどへ移動できたという話も有名。今は知らない人も多いですが、親日の土台をつくった1つのエピソードといえそうです。
グダンスクは、ワルシャワからは飛行機で1時間。初めてのポーランドだと足を伸ばす人はまだ少ないですが、行けばきっと気に入るすてきな街です。
日本の技術力に惚れ惚れ
グダンスクが再生された美を誇るオリジナルな街並みだとしたら、昔ながらの街並みをそのまま残しているのがポーランドのほぼ中央に位置する街、トルンです。14世紀から商工業の中心として栄え、今も機械、化学、繊維産業などが盛んです。
実は2000年代後半には、シャープなどの日本のメーカーが生産拠点として、工場をつくっていました。街なかでは数百人から数千人の人たちを見かけることもあり、「まるでリトルトーキョーだった」と現地の人は振り返ります。ポーランドは日本語を学んでいる人が多いのですが、仕事のチャンスが広がるのも理由の1つのようです。
トルンに先祖代々住んでいて、自身は6代目だという男性に日本への印象を尋ねると、次のように話してくれました。
「日本の技術力が好きです。特に腕時計のSEIKOは有名ですね。あとはコンピューターも。それからとても美しい国ですよね。冬に雪が5メートルも積もる北海道もあれば、年中暑い沖縄もある。私はバイクが趣味なので、山が多い日本はバイクで走るのも楽しそうです」
一方、ポーランドは「平原の国」という意味で、山はほとんどありません。国内を陸路で移動していると、どこまでも平原が続きます。日本とはまったく違う景色です。
また男性は「シーフードも好きなので、日本で本物の寿司を食べたいですね」とも話していました。やはり食は大事な観光要素。トルンの名物グルメは、ジンジャーブレッド「ピェルニク」。日持ちがするのでお土産にもぴったりです。
そのほかポーランド全土で食べられる名物料理としては、餃子風の「ピエロギ」や酸味の効いたスープ「ジュレック」が有名。ウォッカの名産地でもあるので、お酒好きはぜひお試しを!