いまでは気鋭の教育ジャーナリストとして知られる、おおたとしまさ氏が、プライベートでは新米パパであり、仕事では駆け出しのフリーライターだった約15年前にAll Aboutで綴っていた子育てエッセイ連載「パパはチビのヒーローだ!」が、このたび『人生で大切なことは、ほぼほぼ子どもが教えてくれた。』(集英社文庫)という文庫になった。
刊行を記念して、文庫に収録されている約60本のエッセイのうち11本を厳選して連載する。All Aboutのかつての人気連載が15年ぶりの復活だ。
教育ジャーナリストが自戒の念を込めておくる現役パパへのメッセージ
【第2回】まちは子育てテーマパーク!
「ママはおうちでゆっくりしてていいよ」なんて一見やさしそうなセリフを残し、一歩家を出てしまえばこっちのもの。ママがいないのをいいことに駄菓子屋さんで買い食いしようが、居酒屋で乾杯しようがやりたい放題です。「今日はどこ行く?」「次はどこにしようか?」と子どもと相談しながら、あっちこっちをハシゴする気分はテーマパークのアトラクションめぐりそのもの。屋台のやきとりを一本ずつ買って、缶ビールとジュースを買って、カンパーイなんてサイコーです。ママに隠れて悪いことしてるってスリルがさらにアドレナリンを放出させるのです。そして最後に、「ママにはナイショだよ」と、無敵の呪文を唱えれば、子どもは間違いなくパパとのお散歩のとりこになってしまいます(笑)。
といって、ヒミツが守られることはほとんどなく、あとでパパが怒られることは覚悟しておきましょう。
地元の町をたくさんお散歩して、たくさんのお店に顔を出して、子どもが小さなうちからたくさんのご近所さんを味方につけておけば、子どもが成長して一人で行動することが増えても、「○○ちゃん、大きくなったねぇ」なんて、町のみんなが子どもを見守ってくれるでしょう。悪いことをしていれば、注意だってしてくれるかもしれません。ご近所のお散歩にはそういうメリットもあるのです。
ついでにパパが酔っぱらって醜態をさらしていても、「あっ、○○ちゃんのパパだ」と指をさされるようになるデメリットもありますからご注意を。
地域社会が希薄になっているといわれるこのご時世。なにげないあいさつから生まれたあたたかいご近所付き合いは、きっと子どもの未来にとってかけがえのない財産となります。週末のたびに遠くにおでかけするのもいいけれど、特に子どもが小さな時期、地元の町をお散歩することはそれ以上に価値のあることのように思います。
たとえば、私が新米パパ時代、こんなことがありました……。以下、約15年前の連載に掲載されていたエピソードです。
ザリガニ合戦(チビ6歳・ヒメ3歳、15年前当時)
いつもチビといっしょに行くザリガニ釣りの小川に、ある日立て看板がしてあった。
「この川の生き物は近所のひとたちがかわいがって育てているものです。捕らないでください」
ていねいに、ザリガニの絵まで描いてある。
なんかヘンだぞ。
ここは近所のひとたちの水槽か?
区役所に電話した。
「これは区が立てたものですか?」
区の担当者は、
「区は立ててません。ご近所のひとたちが川を大切にして、見て楽しんでいることを知ってほしくて、立てたものだと思います」
「この川は見るためのものっていうのは誰が決めたんですか?」
「そういう決まりはありません」
「ここでザリガニをとってはいけないことになっているのですか?」
「そういう決まりもありません」
「大人は見てるだけで楽しいかもしれませんけど、子どもはザリガニを見たら捕まえたくなるのは当たり前ですよね。大人が根こそぎとっていくのを禁止するのはわかるけど、子どもがザリガニをとるのも禁止するなんて“近所のひと”の横暴じゃないでしょうか。ちなみに僕も近所のひとですが」
「そ、それはそうですね……。こういうことは話し合って決めてください」
「だから、話し合いもなく、一方的に立て看板をして大人の価値観を子どもに押し付けることがおかしいと思うんですよ。……わかりました。機会があったら“近所のひと”と話してみます」
“近所のひと”たちが人工の小川を大切にして、金魚を放流したりしているのは知っている。
それはとても良いことだと思う。感謝している。
自然を大事にして、川に生き物が戻ってきて、小鳥が戻ってきて……。
川に生き物が戻ってきたあとは、子どもたちが戻ってくるのが自然ではないだろうか。
子どもたちがそこで遊ぶことを禁じるのは“不自然”というものではないだろうか。
「もう、ザリガニはとれないの?」
心配そうなチビに僕は言う。
「大丈夫。ダメというひともいるみたいだけど、そういうひとが来たら、パパがちゃんと話をするから」
よく公園で見かける看板もおかしい。
「ボール遊びは禁止」
公園がボール遊び禁止って……。
じゃあ、どこでボール遊びするの!?
きっと、公園でゆっくりお茶を飲みたいひとが区役所かどこかに苦情を言ったに違いない。
「子どもたちが遊んでて、危なくてお茶も飲めない!」とか、なんとか。
たしかに、よちよち歩きの幼児がちょろちょろしているところで、バットを振り回したり、硬いボールを投げたりしたら危ないけど、だからって全面禁止はないんじゃない?
苦情を言えば、それが通って、一方的な制約ができる。
自分のことしか考えないひとが訴える権利が認められ、そのほかのひとの権利が狭められていく……。
そういうひとと議論するのが面倒だからって、一方的に主張を受け入れて、結局もの言えぬ子どもにしわ寄せがいくってのはまわりの大人の怠慢だ。
利害のぶつかるひとと話をするとなると、論理的に、冷静に、しかし強い意志をにじませながら話さなければならない。
子どもの遊び場や自由が奪われようとしているならば、そこに立ちはだかる砦(とりで)となるのは親の役割。
チビだけじゃない、地域の子どものためにパパは立ちはだかる!
パパはヒーローだから。
これはいろんなところで起きている問題だと思います。子どもは自分たちの権利を主張する声をもちません。だからこそ、子どもの代弁者となる大人たちが必要です。そういう大人たちこそ、本当の意味での子どもたちにとってのヒーローなんだと思います。子どもたちはそれに気づきませんが、それでいいんです。
この記事の執筆者:おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。「こどもが“パパー!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。いま、こどもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を務め、現在は、子育て、教育、受験、進学、家族のパートナーシップなどについて、取材・執筆・講演活動を行う。『勇者たちの中学受験』『ルポ名門校』『不登校でも学べる』など著書は約80冊。