「防災の日」とは
9月1日は防災の日。避難訓練などの災害時を想定した訓練をおこなう日として定着しているが、「防災の日」とは、どのような由来があり、制定されたのだろうか。
防災の日は、地震や台風、高潮、津波などの災害についての認識を深め、それらの災害に対処する心構えを準備するために1960(昭和35)年に内閣の閣議了解により制定されたという。
制定された理由には「関東大震災」があったこと、もう一つに台風シーズンであることがあるという。
由来1:関東大震災とは
関東大震災は、1923(大正12)年9月1日11時58分44秒、伊豆大島付近、相模湾北西部の相模トラフ(北緯35.1度 東経139.5度)を震源とする海溝型大地震。
この地震はマグニチュード7.9、震度6の規模で、南関東を中心に、死者・不明者14万2,807名、家屋全半壊約25万4千棟、焼失した家屋は約44万7千棟だった。また山岳部では山崩れが多数発生し、海岸部では津波が発生したという。
その被害の大きさから、この地震は、「関東大地震」「関東大震災」と呼ばれている。この地震を教訓にするという思いも防災の日には込められている。
由来2:二百十日の厄日とは
もう一つの由来として挙げられるのが「二百十日」という厄日だ。「二百十日」は、暦の雑節の一つで、立春から数えて210日目の日、つまり太陽暦では9月1日頃が、台風が来襲する厄日とされている。
「二百十日」は、稲の穂が出始める時期、つまり農事の上で大切な時期に台風が来襲し、田んぼが泥水につかったり、強風で稲の花が吹き飛ばされたりして、せっかく丹精に作ったお米が実らなくなって凶作に見舞われることを警戒して『厄日』としてきたとされる。つまり、9月は台風が訪れるシーズンとして歴史的に認識されていたようだ。
実際に、関東大地震では、昼の時間帯で火の使用が多かったことと、そしてこの『二百十日』という厄日が重なり、時折突風が吹き荒れたことなどから、火災による二次被害が広がり、東京は3日間にわたって燃え、出火規模は130カ所以上にのぼったといわれている。
同様に、「防災の日」制定の前年である1959(昭和34)年9月には、5,000人を超える死者・行方不明者を出した『伊勢湾台風』も襲来している。「二百十日」の厄日が特に台風が来襲しやすいというわけではないが、「9月の台風期を控えての心構え」という意味も込められているようだ。
なお、9月1日の「防災の日」を含む1週間(8月30日から9月5日まで)が「防災週間」と定められている。
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