リオデジャネイロ五輪もいよいよ21日(日本時間では22日)に幕を閉じる。大会中は男子テニスの錦織圭選手が96年ぶりにメダルを獲得したり、92年ぶりにラグビー競技(今大会では7人制)が復活し、日本が強豪ニュージーランドから大金星をあげるなど、なにかと「約100年前の五輪」が話題に上がった。
近代オリンピックが始まったのは約100年前の1896年。この約100年前の五輪はどのようなものだったのだろうか。第3回までの五輪を写真で振り返ってみたい。
第1回アテネ大会(1896年)
第1回大会はギリシャのアテネで開催された。出場国は14カ国、参加者は241人だったそうだ。
開会式にも大勢の観客がいるのがわかる。だがスケールがなんとも小さいのは否めない。
競技はどのようなものがあったのだろうか。
花形競技の陸上100m走。クラウチングスタートの人もいればスタンディングスタートの人もいて、まちまち。競技場に線を直接ひいてなく、紐でコースを示している。転ばないか心配になって、記録が伸びなさそうだ。
当時からマラソン競技はあった。写真は練習をしているところだそうだが、普段着で走っており、かつ、コースもどこか寂しい。
当時の金メダル記録は1m81cmとのこと。それと、着地地点は単に砂地だろうか。
フェンシングも第1回大会からある。多くの人に見守られているが、若干その距離が近いのが気になる。
驚くことに、体操競技も野外でやっていたようだ。写真はつり輪で銀メダルを獲得したヘルマン・ヴァインゲルトナー氏。彼は鉄棒では金メダルを獲得している。
あん馬も今と比べると4本足で名前の通り、より「馬」に近い。
リオ五輪の体操男子団体で日本は金メダルを獲得したが、第1回大会でも団体競技はあった。平行棒団体と鉄棒団体があったそうだ。写真を見ると選手が並んで競技している。シンクロのように評価されていたのだろうか。
変わり種の競技もあった。
今ではお目にかかれない「綱登り」という競技もあったようだ。高さは13mともいわれている。登った高さや速さを競ったという。この競技は1932年まで存在した。
第2回パリ大会(1900年)
第2回大会は、近代オリンピック提唱者のピエール・ド・クーベルタン氏の故郷、フランス・パリで開催された。この年はパリで万国博覧会があり、五輪はその「付属国際競技大会」という位置づけだったという。
競技は今も見られるものから珍しいものまで19競技95種目が行われた。
見慣れた競技だが、飛び込み台もなければ、屋外での開催だったようだ。
パリ五輪では初めて女性選手も出場。テニス・シングルスで優勝したイギリスのシャーロッテ・クーパー氏が女性初の金メダリストとなった。
「こんな競技もあったのか!」と思わざるを得ない競技を紹介する。
バスクペロタとは、スペイン・バスク地方に由来するスポーツで、バスケットのようなもので「ペロタ」と呼ばれるボールを壁に投げる競技とのこと。スカッシュに近いかもしれない。
バスクペロタが五輪の正式種目になったのはこの時だけ。しかも出場したのはスペインとフランスの2カ国だけだったそうだ。
運動会で盛り上がる「綱引き」も五輪の正式種目だったのだ。この競技は、1920年のアントワープ五輪まで実施されたという。
非公式ながら実施された競技もある。
飛行距離や飛行時間を競ったのだそう。
2日間で釣り上げた魚の重量で競ったそうだ。五輪というとスポーツのイメージが強いが、この大会は「国際競技大会」なので、問題がないのかもしれない。
第3回セントルイス大会(1904年)
アメリカ・セントルイスで開催された第3回大会では16競技87種目が実施された。
ハンマー投げ。競技場が恐ろしく閑散としている。
ウエイトリフティングは「両手」という種目と「ダンベル」つまり片手で行う種目があったそうだ。
1904年のマラソンコース。沿道に観客もなく物悲しい。このとき、途中を車に乗って進んでしまった「キセルマラソン事件」が起こっている。
野性味がある。
この時も飛び込み台がない。
格闘技のような迫力がある。
陸上障害に驚くべき「障害」があった。
なんと袋競争。
つるされている樽に飛び込んで通り抜けたり、はしごの昇り降りなども途中にあったようだ。綱引きに続いて、運動会の色が強い。
第3回までの五輪を振り返ると、今はもう見られないような競技もある。もしかしたら、100年後に今実施されている競技も「珍競技」と言われてしまうかも?
【関連リンク】
↓↓↓All About NEWSの最新記事をフォロー↓↓↓
専門家しか知らないトレンドやニュース、専門家ならではの時事解説など、ここでしか読めないニュースをお届けします。