『うっせぇわ』が秘めたヒット性とは?

このところ「親が子どもに聴かせたくない曲」として話題の『うっせぇわ』。PVのYouTube再生回数は公開からわずか半年で9800万回強(2021年3月18日現在)。2019年5月にPV公開された『香水』の再生回数が1億4000万回強なのでその注目の大きさがわかる。

音楽の嗜好の細分化が進んだ現代、子どもから大人までみんなの耳に届き、口ずさめるような曲は年に1曲あるかないか。一部に批判があるとはいえ、この『うっせぇわ』にはなんらかのヒット性が備わっているのだと考えたほうがいい。『うっせぇわ』はなぜ大衆の心を惹きつけているのだろうか?
 

尾崎?林檎?ライバル不在の状況を逆手に取って“若者の代弁者”に

『うっせぇわ』を構成する要素の中で、何よりも注目されているのはその歌詞。「ちっちゃな頃から優等生」というフレーズがチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』をもじっているということはよく指摘されているが、それ以外にも尾崎豊、初期の椎名林檎など、過去に若者の代表として時代を彩ったアーティストたちに共通する印象を感じている人が多いようだ。近年のポップスとしては珍しく、大人に対する反骨心、社会からの疎外感を明確に訴えているがゆえだろう。

大人に対する反骨心、社会からの疎外感を明確に訴えている『うっせぇわ』
大人に対する反骨心、社会からの疎外感を明確に訴えている『うっせぇわ』

校内暴力や暴走行為など目に見える非行行為は少なくなった現代だが、若者の抱えるフラストレーション自体が無くなっているわけではない。コンプライアンス重視の世相を反映してか、過激な主張をして若者を代弁するタイプのミュージシャンは減少の一途をたどっているが、『うっせぇわ』はその状況を逆手に取って注目を集めることができたのだ。
 

歌詞にこらされた「商業的」な配慮

“18歳”“現役女子高生”という肩書が強烈すぎて、メディアからは若者の代弁者のように祭り上げられがちなAdoだが、『うっせぇわ』の作詞・作曲にあたったのはsyudouというボカロP(ボカロ系ミュージシャンを指す)。年齢は非公表だが10年近い活動歴があり、数々の作品を手がけてきた“大人”のミュージシャンだ。作詞の手法もけっして個人の想いを書きなぐったような稚拙なものではなく、ちゃんと商業的な配慮がこらされているように感じる。

先述した、過去のアーティストを連想させるオマージュ的な手法に加え、コロナ禍でさまざまなルールや制約を課された大衆の心に響く「うっせぇわ」という強烈なキャッチコピー、大人を批判するくせに実は承認されたがっているのではないかと思わせるキャラクターの脆さ、さんざん乱暴な言葉は吐くものの「殴ったりするのはノーセンキュー」「アタシも大概だけど」と落としどころも用意されている。『うっせぇわ』は絶妙な時代性と物語性、バランス感覚を兼ね備えた、よくできた商業作品なのだ。
 

ボカロ系音楽が完全に市民権を得るきっかけに

『うっせぇわ』のヒットは近年大きな盛り上がりを見せるボカロ系音楽シーンが完全に市民権を得る大きなきっかけになるだろう。ボカロとは「VOCALOID(ボーカロイド)」というソフトでボーカル合成して作られた音楽を指すが、近年では制作者本人が歌い始めたり、ニコニコ動画やYouTubeの「歌ってみた」系シンガーとコラボレーションするなどしてポップス化。ボカロP出身の米津玄師がシンガーソングライターとして成功をおさめたり、ボカロPのAyaseが所属するYOASOBIが「夜に駆ける」をヒットさせるなど世間への浸透を急速に深めてきた。

エフェクト感の強い芝居がかったボーカル、文字を詰め込んだような早口の歌詞、既存のポップスの常識にとらわれない楽曲構成の複雑さ……。ボカロ系音楽はその斬新さゆえに、3、40代はともかく昭和ど真ん中な50代以降の一般リスナーには今一つ受け入れられていない感があったが、これだけ“社会問題”としてニュースやワイドショーで扱われればもう勝ったようなものだと思う。

ボカロ系音楽の人気に拍車をかけたAdo
ボカロ系音楽の人気にさらに拍車をかけたAdo

醜聞は美談に勝る。川谷絵音が不倫騒動を起こした結果、「ゲスの極み乙女。」の名前が全世代に知れ渡ったように、『うっせぇわ』やボカロ音楽は今回の批判により、より広い世代に親しまれてゆくだろう。ボカロに挑戦するおじいちゃんおばあちゃんがテレビで特集されたり、サラリーマン川柳や交通安全スローガン、商店街の年末セールのキャッチコピーなどのゆる~いコンテンツに『うっせぇわ』のワードが登場するのは遠い日ではない。