時代に翻弄された大女優、李香蘭
早川雪洲、三浦環……戦前にも国際的に活躍したエンターテイナーは何人かいるが、アジアでの人気ということになると李香蘭(山口淑子)の右に出る者はいないだろう。
とはいえ、李香蘭は第二次世界大戦が終結するまでは“中国人”として認識されていた。南満州鉄道で中国語を教えていた父の影響で子どもの頃から中国に住み、家族ぐるみで交際のあった瀋陽銀行総裁・李際春と義理の親子の契りを交わし(当時の中国の風習による)「李香蘭」の名前を与えられた彼女。
その美貌と特異なプロフィールを現地の日系ラジオ局、映画会社に見込まれた彼女は、日満融和、あるいは日中融和のためにあえて中国人として活動し、『白蘭の歌』(1939年)、『支那の夜』(1940年)などの映画や『蘇州夜曲』(1940年)、『夜来香(イエライシャン)』(1944年)などのレコードのヒットで東アジアを代表する国際スターへと成長した。
しかし、彼女の芸能生活は年々悪化してゆく日中関係の中で常に翻弄された。
『支那の夜』で、初め反日的だったものの日本人男性にほほを打たれ改心する女性を演じたことが中国人社会の反感を呼び、記者会見で糾弾されるというトラブルに。
日本人であることを明かそうとしても「逆に中国人を傷つけることになる」と関係者に止められ、終戦を迎えると日本に協力した売国奴として軍事裁判にかけられ、あわや銃殺刑というピンチに……。
本当は日本人であるという証明ができ、どうにか無事日本に帰ることができたものの、同様のケースで証明が間に合わず銃殺刑に処されてしまった例もあり、その命運はまさに紙一重のものだったのだ。
今も歌い継がれる、名曲の数々
そんなドラマチックなエピソードもあり、時代を代表するスターとして東アジアの人々の記憶に強く刻まれた彼女だが、その透明感あるエキゾチックな歌声は今も音楽界に一定の影響を残している。
ほんの一例だが、前述した『蘇州夜曲』はアジアテイストのエキゾチックナンバーとしてASKAや戸川純など数多の日本人アーティストにカバーされ、『夜来香』もテレサ・テンなどにカバーされアジア全体で愛唱されている。
歴史の変遷の中で忘れかけられたり、放送禁止の憂き目にあったりということはあったが、や服部良一、黎錦光といった最上級の作家がスター・李香蘭のためにつくったメロディーは時代を超えて埋もれず愛され続けているのだ。
権利関係の問題でこちらの記事上でご紹介することはできないが、YouTubeなどで検索していただけるとその音楽的凄みを体感していただけると思う。今後も李香蘭についてどのようなカバーや再評価がなされるか楽しみにしたい。