独自の世界観をつくりあげた香港の代表的ポップスター、レスリー・チャン

港町YOKOさん提供

6月の「香港国家安全維持法」施行以来、民主化運動のシンボル、周庭(アグネス・チョウ)さんや民主派新聞社「アップルデイリー」社主の黎智英(ジミー・ライ)さんが次々と逮捕され混迷を極める香港。イギリス統治時代から続いてきたこの街の自由の伝統は中国共産党の強権支配によりもはや風前の灯(ともしび)と言えるだろう。

香港のこのような惨状を予見していたのではないかと思う人がいる。その人の名は張國榮(レスリー・チャン)。残念なことに2003年に自死してしまったが、1977年から27年間のキャリアを通して「風繼續吹」(山口百恵「さよならの向う側」のカバー)、「H2O」(沢田研二「TOKIO」のカバー)、「Monica」(吉川晃司「モニカ」のカバー)などのヒット曲を持ち、また「男たちの挽歌」、「欲望の翼」、「さらば、わが愛/覇王別姫」、「ブエノスアイレス」などの映画で異彩を放った。

僕はこの人を、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国、アメリカ、日本のカルチャーを吸収しつつ、独自のエンターテインメントを創出した香港の代表的ポップスターだと位置づけている。

中国共産党の支配を恐れていたレスリー

港町YOKOさん提供

レスリーは香港が中国に返還される前、中国共産党の支配を恐れてカナダに移住したことがある。広東市の地主だった祖父が、悪名高い文化大革命(※)で迫害をうけ、命を落としたからだ。レスリーの一家は、レスリーの父の代で香港に移住していたので難を逃れたが、本土に残った祖父の死は少年時代のレスリーにとって衝撃的な出来事だったに違いない。

(※)毛沢東が1966年から1976年にかけて主導した改革運動。粛清と虐殺により最大2000万人と言われる犠牲者を出した
 

長年のファンでmixiコミュニティ「レスリー・チャン(張國榮)」管理人の港町YOKO(みなとまち よーこ)さんはこう語る。

「返還前の香港では国外に移住する人が大量発生しており、レスリーもその1人でした。香港は共産党を恐れて本土から逃れてきた人が多く、まだ文化大革命から20~30年しかたっていなかったのですから、そうなっても当然ですよね。

レスリーは1992年に『さらば、わが愛 覇王別姫』の撮影で初めて中国本土を訪れるのですが、『AERA』(1998年6月1日号)のインタビューに対し"正直言って恐ろしかった。共産党が怖かったですから"と語っています。

撮影を通してうちとけた部分があったようで、香港返還後の晩年は中国の風土に親近感を抱いているというような発言もありましたが、政治的に配慮しなければならない部分もあったでしょうし本心はわかりません。

少なくとも、最も自由で文化的にも豊かな時代を過ごしたレスリーが、今の香港の状況を知れば悲しむだろうなと思います。」

香港の市民にも、民主派と体制派の分断が

以前、僕が香港を訪れた際……もう10年も前のことなので、まだまだ街は平和で表面的な自由は保たれていたが、住民の方と話すと民主派と体制派の間で反目があることに気付いた。政治とは恐ろしいもので、中国共産党がこの街の命運を握ったとなると、それになびくことで保身しようという層が生まれていたのだ。成龍 (ジャッキー・チェン)のように中国共産党の広告塔のようになってしまったタレントが出てくるのもうなずける。

しかし、中国共産党に支配された香港のエンターテインメントから柔軟さが失われ、以前のような個性やパワーが失われつつあるのは明らか。けっして自死を肯定するのではないが、香港のエンターテインメントに自由があるうちに活躍できたレスリーは、ある意味で幸せだったのではないかと思わざるを得ない。