謹慎中に介護に従事……そのわけは?
酒井法子さん、田村亮さん、ザブングル……事情は違えどトラブルを起こして芸能活動休止に追い込まれた彼らが、共通して謹慎中に手を出したとされるものがある。
それは介護。
彼らのうち、ザブングルのお二人は所属事務所の意向もあり、一定期間しっかりとしたボランティアに従事していたようだが、他の方たちについては今一つ具体的なことがわかっていない。中には「介護を勉強したい」という発言だけで終わってしまった方もいる。
介護は体にこたえる肉体労働の要素が多いし、芸能のように華やかだったりわずかな時間で一攫千金が狙えるようなタイプの職種ではない。近年は若干の改善傾向にあるようだが、末端の介護士の収入はけっして多いとは言えず、どちらかというと「キツい仕事」というイメージがあるのはいなめないだろう。
本格的な高齢化社会を迎え、介護従事者やボランティアの需要はたしかに高まっている。そんな中でタレントも介護に興味を持ってなんら不思議ではないのだが、それを言い出すのが決まって謹慎中ということになると見ているほうも「世間の同情を引いたり反省のポーズにしようという思惑があるんじゃないの?」とうがった見方にもなってしまう。
僕個人的には、そういった思惑は……それが全てではないだろうが、心の隅に確実にあると思う。
ある程度蓄えのあるタレントならば、謹慎中だろうがそれまで携わっていた芸事について深く勉強したほうがよほど後々のためになる。心機一転、芸能以外の事を学ぼうと言うなら株の勉強をしたり、税理士や宅建の資格をとるため勉強したほうが今後の生活にもプラスになろうというものだ。なのに彼らが介護のようなまったく畑違いの「キツい仕事」に携わろうとするのはなぜか。僕はそこに近年の、不祥事を起こしたタレントに対する暴力的とも言えるバッシングが原因していると考える。
後を絶たない、不祥事タレントへの過度のバッシング
これはタレントに対するSNS上での誹謗中傷問題にも共通しているのだが、世間には不祥事を起こしたタレントに対し屈折した感情を持つ人が一定数存在する。「不祥事を起こしたタレントは芸能界から去れ」、「不祥事を起こしたタレントは反省して清貧に耐えろ」……職業選択の自由は憲法で保障されているので、タレントだからと言ってなぜそんな特殊ルールを課せられないといけないのかわからないが、実際にそんなことを言ったり、そればかりかSNS上での書き込みや事務所への電話など実力行使に及ぶ人は後を絶たない。
不祥事を起こしたことでもう十分にバッシングされているのに、その後の身の振り方にまでいちいちケチを付けられ足を引っ張られるのはタレント本人やその家族にすれば相当なストレスだろう。だから本当は早めに復帰したくても芸能界復帰の意志が無いふりをしたり、過剰なほどに反省のポーズをとらざるを得なくなるのだ。
もちろん、ポーズのために介護など何かの職業を利用するのは褒められたことではないが、一方的にそればかり責めてみてもなんの発展性もない。正義とは罪を犯した人や失敗した人を再起不能なまでに追い詰めることではないのだ。なにが彼らをそうさせてしまうのかを根源的に考え……はっきり言うと、むしろそういった問題に対し「第三者」だと思い込んでいる一人一人が現代日本に屈折した大衆心理や社会のゆがみがあること自覚し、その改善につとめなければこの手の問題は後を絶たないと思うのだがいかに。