ある意味、現役最強の知名度を誇るプロ野球選手!?
プロ野球の試合が行われている際、TwitterなどのSNSを利用して試合の感想をつぶやくのは、最近ではごく普通のことになってきました。その際、ハッシュタグをつけて投稿することが多いのですが、その中でもひときわ目立つのが「#スギノール」。実際にそんな名前の助っ人外国人選手はいませんが、そうしたアダ名を持つ選手こそ、今回の主役である杉谷拳士です。
今季でプロ入り11年目となる中堅の選手ですが、キャリアを通じてシーズン100試合以上に出場したことはなく、通算打率も.222とごく平凡。しかし、内外野すべて守れるだけでなく、左右両打席で打てるというスイッチヒッターというプロ野球史上でもまれに見るユーティリティープレーヤー。この手のタイプのセンスはいぶし銀型の地味目な選手が多いのですが、現役選手屈指のキャラの強さを誇る杉谷は例外と言ってもいいでしょう。
では、そんな杉谷拳士がどんな選手なのか、詳しく見ていきましょう。
杉谷家はボクシング一家!?
杉谷拳士が生まれたのは東京都練馬区。父の満は元プロボクサーで日本フェザー級の王座を獲得した実力者。そして伯父の杉谷実も日本ジュニアウェルター級王座獲得経験のあるボクサーという典型的なボクサー一族出身。もしかすると杉谷の名前に「拳」という字が入っているのもそうした一族の由来があるのかもしれません。
そんな杉谷自身も実は父や伯父がトレーナーをしていたジムでボクシングのトレーニングを受けていて、ジムの会長だった具志堅用高からボクサーとしてプロを目指しては?というスカウトを受けたというエピソードがあります。
ボクシングで培った動体視力を生かしてか、杉谷は間もなく野球を始めることに。そして高校は兄の翔貴が通っていた帝京高校へと進学。これがのちの杉谷の運命を大きく変えることになります。
小柄な体型ながらも抜群の運動神経を誇る杉谷は入学早々、ショートへとコンバート。1年生にして名門・帝京高校のレギュラーを務めることになります。その中でも印象深いのが1年生の夏に出場した甲子園大会の準々決勝の対智辯和歌山戦です。
9回の表に猛攻で8点を獲り、12対8とリードするも、9回裏に攻められて1点差に迫られた帝京は土壇場のピンチに投手経験こそないものの、度胸があるという理由で杉谷をマウンドへ送るという意表を突く采配を敢行。さすがにこれは無理があったのか、杉谷は初球で相手打者に死球を与えてしまい降板。最終的にこのランナーが生還して、杉谷は敗戦投手になってしまいました。
後にチームメイトとなる斎藤佑樹(当時早稲田実業)が注目を集める大会でちゃっかりと話題になる辺り、杉谷のキャラクターを表しているように思えます。
この大会後も杉谷は高校時代に甲子園に春夏併せて2度出場し、合計で3回、甲子園の地を踏みました。2年秋からはキャプテンを務めつつ、自身の俊足を生かすためにスイッチヒッターにも転校するという器用さもここで見せています。
そして高校3年時に迎えたドラフト会議。実は当時の杉谷はプロのスカウトからさほど注目されておらず、卒業後は社会人野球のあるチームに内定をもらっていましたが、どうしてもプロ入りをあきらめきれなかった杉谷は日本ハムの入団テストを受験して見事に合格。2008年のドラフト会議で6位指名を勝ち取り、晴れてプロ入りを果たしました。
スポーツ王への出演が転機に
念願かなってプロ入りを果たした杉谷拳士ですが、テスト入団のドラフト下位指名の選手ということもあり、一軍出場を果たすために越えなければならない壁はたくさんありました。
杉谷が注目されたのはプロ入り2年目の2010年。前年同様、この年も一軍出場こそなりませんでしたが、二軍のイースタンリーグでシーズン安打の新記録(当時)となる133安打を達成。俊足で器用なプレースタイルが評価されてか、翌2011年にはプロ入り3年目にして念願の一軍初出場を記録。打率こそ.185でしたが、50試合に出場するなど足掛かりをつかみます。
その後、毎年のように50試合以上に出場し、内野外野の守備固め、代走、そして代打と起用法はさまざまながら一軍に定着し、自身の仕事場を見つけていきます。そして持ち前の明るい性格で先輩選手やOBから可愛がられ、中でも1つ年上の中田翔は弟分扱いでイジっている様子を自身のSNSで発信し、日本ハムファンから好評を博していました。
そして杉谷が一気にブレイクしたのが2015年のお正月でした。シーズンオフとなるこの時期にブレイクとは?と思いますが、お正月の恒例番組となっている「夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル」内の人気コーナー、リアル野球BANに杉谷が出演したことがすべての始まりでした。
杉谷は帝京高校の先輩である石橋貴明率いる「チーム帝京」の一員として、侍ジャパンチームと対戦するという番組内容でしたが、ここで杉谷は持ち前の明るさを見せ、お茶の間にその存在を猛アピール。Twitter上では「#杉谷」の投稿が溢れ、ついにはその日のトレンドワードに入るほどでした。
注目度を増した杉谷はこのシーズンで自己最高の打率.295を記録。この成績が評価されて、背番号もそれまでつけていた「61」から「2」に変更するなど大出世の年となりました。
左右両打席本塁打を達成でスギノール誕生
野球ファン以外にも注目を集めるようになった杉谷ですが、肝心の成績はと言うと残念ながら今一つ。背番号変更後の打率の推移は.240(16年)、.147(17年).231(18年)、.209(19年)と.250すら超えないという状況がここ数年続いています。
それでも「スポーツ王」への出演は自身が野球留学に出ていた18年のお正月を除いて毎年出演。2019年のお正月に出演した際にはMVPを獲得して、提供された商品の日産リーフをゲットするという快挙まで成し遂げています。あまりのタレント性の高さから、いつしか杉谷は「プロ野球選手」ではなく「野球の上手い芸人」とイジられるようにもなりました。
そんな2019年、ついにあのニックネーム、スギノールが誕生します。そのきっかけとなったのはこの年の5月23日に行われた対楽天戦。この試合の杉谷は絶好調で史上19人目、42回目となる左右両打席本塁打を達成し、チームの勝利に貢献します。この時のヒーローインタビューでかつて日本ハムに在籍し、通算9度の左右両打席本塁打を達成したセギノールにちなみ、「これからはスギノールとして頑張ります!」と宣言。これ以来、杉谷が活躍すると、SNS上で「#スギノール」という言葉が並ぶようになりました。
そしてこのスギノールという言葉に注目したのが、帝京高校の先輩である石橋貴明。自身が2020年の6月から始めたYoutubeチャンネル「貴ちゃんねるず」内で「杉谷の応援歌を作ろう!」という企画の中でできたのがなんと「スギノールのテーマ」。打席に入る際に杉谷も使用していて、大盛り上がりを見せています。
まだまだスギノールから目が離せない
いかがでしたか? 現役選手屈指の人気を誇るユーティリティープレーヤーでありながら、抜群のキャラを持つ杉谷拳士。SNS上ではさまざまな姿を見せてくれるある意味で令和のプロ野球選手のモデルケースと言えるでしょう。
これからも「帝京魂!」を胸にプレーする、杉谷拳士に注目しましょう!