親の離婚……子どもたちは、当時どう感じていたか
大人であれば親の離婚を冷静に受け止められるかもしれないが、もっと子どもが幼いとしたらどうなのだろうか。今は大人になった彼らの当時の気持ちを聞いてみた。
小学生だったある日、突然、父親がいなくなった
小学校3年生のとき、両親が離婚したというマサルさん(28歳)。彼は母親とふたりで、母の実家で生活するようになった。
「僕は父親が大好きだった。よく遊んでくれたし、母に内緒で一緒にアイスを食べたりしたし。茶目っ気のある父親でした。でもある日突然、父はいなくなって、僕は祖父母と暮らすようになったんです。祖父は無口で、祖母は過干渉。母は朝から晩まで働いていて、いつも疲れていた」
環境が変わって転校した学校で、彼はイジメにあう。だが誰にも話せなかった。
「離婚して引っ越してきたことはすぐに噂になっていました。それでいじめられたのか、都会で育った僕がその地方の方言がわからなかったからからかわれていたのか、今になるとよくわかりませんが、とにかく学校にも家庭にも居場所がなかった」
数年後、彼は母親にどうして離婚したのか尋ねたが、母はなにも教えてくれなかった。母への不信感、そして会いにきてくれない父への恨みを抱えたまま、彼は中学生になる。中学では悪い仲間に入った。3度目に補導されたとき、父がやってきた。
「さすがに涙が止まらなくなりました。父も泣いていた。それを機に、僕は父と暮らすようになったんです」
ところが父にはすでに別の家庭があった。結局、いづらくなった彼は、また母のところへ戻る。
「父が、ごめんなと言って涙ぐんだ。どうやらもともと父は浮気三昧だったようです。それで母は愛想をつかした。悪い人じゃないんでしょうけどね。父とは最近、また会うようになりました。一緒に酒を飲んだりすると、父の弱さがよくわかって、それはそれで愛おしいなと思っています」
早く大人になりたかった
祖父母と母の4人暮らしをしながら、彼は高校へ進学。そこで気持ちを入れ替えた。
「早く大人になって、自分の力で生きていきたいと強烈に思うようになりました。そのための手段として勉強しよう、と。劣等生だった僕が必死で勉強して、国立の大学に受かりました。それでひとり暮らしを始めたんです」
学費は奨学金を借り、大学の寮でアルバイトをしながら学業に精を出した。そうしているうちに勉強がおもしろくなり、大学院まで通ったという。
「今は、ある研究所に勤めています。仕事はおもしろいけど、恋愛はできませんね。恋愛が怖いんです。つきあっても3カ月くらいですぐ逃げたくなってしまう」
祖父は亡くなり、母親は自分の実母と暮らしている。過干渉だった祖母だが、あの当時はやはり必死に彼を育てようとしていたのだと今になると思う。
「親の離婚は確かに子どもに影響を及ぼすとは思います。ただ、僕自身に限っていえば、あのとき母がきちんと離婚した理由を説明してくれれば、あれほど父の不在で悩んだり苦しんだりしなかったような気がするんです。子どもだからと思わずに、ちゃんと説明したほうがいい。僕はそう思っています」
祖母と母が暮らす家を、マサルさんはときどき、ふたりの好きなおいしい牛肉を持って訪ねる。3人ですき焼きを食べ、なんということもない世間話をして帰ってくる。そのひとときが大事だと彼は話す。
「これからは僕自身がリハビリして、ひとりの女性と長く恋愛できるようになりたい。それが今の目標です」