「令和」になって1カ月半
時代が「令和」になり、1カ月半が過ぎましたね。
ここで改めて「平成」という時代を「恋愛/結婚」観点で総ざらい
平成は30年と4カ月。平成元年に生まれた子の中には、すでに父
「平成」の31年間で世の中は何が変わった?
恋愛ガイドらしく平成を切り取れば、この31年は大衆の結婚観が大きく変化した時代だったと感じています。離婚件数(および婚姻件数に対する離婚比率)が増加し、離婚経験者(バツあり)が世間から後ろ指を刺されなくなったのは、よい風潮ではないでしょうか。
離婚件数が増えたのは、ひとえに女性の社会進出(および男女雇用機会均等)がひとつの要因ではないかと思います。経済的自立さえできれば、配偶者に依存しなくても生きていけるのですから。一方、離婚件数の増加によりシングルマザーやファザーも比例して増え、再婚によりステップファミリー(子連れ婚)も昭和の頃よりずっと増えています。
少子化が叫ばれて久しいですが、増加しつつある単親家庭へのフォローや再婚を含めた戸籍上の制度はまだ追いついているとは言い難いところがあります。いっそのこと、結婚(入籍)することと出産することを切り離し、フランスのようにすべての母子に手厚い手当が支給されれば、もっと出産や養育をポジティブに受け入れられるのに……と私は子供もいないのに考えてしまうことがあります。これは令和に託された課題ではないでしょうか。
昭和44年生まれの私は、平成の時代に20代~40代を生き、いいのか悪いのか、結婚も離婚も2回ほど経験しました(うち1回は事実婚)。女の31年としては、あまり平和だったとはいえないのですが、時代が味方してくれたおかげで、離婚してもなお前向きに人生を歩むことができました。
今と未来が幸せであるためには、我慢や忍耐は決して美徳ではないと思います。耐えたその先に光が見えないならば、パートナーに対する選択眼を誤った事実を受け止め、すみやかに別の道へと舵を切り直すのが得策だと私は思っています。
平成における変化としてはもうひとつ、ジェンダー面におけるダイバーシティ(多様性)が少しずつ受け入れられる世の中になってきたことも挙げられるのではないでしょうか。セクシャル面においても、LGBT(実際はもっと多くの種類がある)といったマイノリティーな傾向(あるいは嗜好)が主張できる場面も増え始めたのですから。
私は2009年から恋愛ガイドとしてさまざまなテーマのコラムを書いてきましたが、まだまだ「男女の恋愛」以外を取り上げるのは難しく感じます。多くの人に読んでもらう前提で発表する文章は、どうしてもマジョリティー寄りになってしまうので……。
「令和」に込める期待とこれからも変わらないこと
令和の時代になったからといって、急に人々の行動や思想が変わるわけではありませんよね。婚姻など法に関わるジャンルはなおのこと、遅すぎるくらいの速度でしか変化しないでしょう。
ですが、日本そのものが変化するスピードは緩やかでも、個人ひとりが「今日から変わるぞ!」と行動を変えるのは簡単なことです。難しいと感じるのは自身の思い込みであり、誰の賛同も得る必要がなく、決意ひとつでシフトチェンジすることが可能なのですから。
西暦の新年や属する団体の新年度がやってくるたび、人は何となく気分が一新したような感覚になり、新しい年こそは「新しい自分に生まれ変われる」ような気がしてきます。それが滅多に起こらない「新元号」となれば、込める期待やパワーも増大するものです。
本当は、いつだって「今日と変わらない明日」を迎えているはず。それでもやっぱり「新しい時代」という未来に、我々は何らかの期待を抱いてしまうものです。たとえ錯覚であろうと、私はそれを悪いものだとは思いません。
皆が同じように「よき未来」を期待すれば、それは新しい時代におけるエンパワーメントとなるでしょう。
人間というものは、学習し、学習が慣れを生み、慣れが惰性を生む性質を保有しているのです。だからこそ、時代を区切ることで「今日とは違う明日」を設定し、その都度意識をリフレッシュさせたほうがいいのではないでしょうか。
事実としては、グラデーション的に今日から明日へと続いているのかもしれません。だけど、結婚したり出産したり離婚したり、新元号を迎えたりするタイミングで人は生まれ変わったような気持ちになれるのです。
はじめて次の元号を迎える平成生まれの人。
私同様、昭和に生まれて平成を生きた人。
大正から3つの時代を生きることができた人。
それぞれが迎える令和の時代は、もっともっと誰もが生きやすい世の中になって欲しい。好きな人と気持ちが通じ合い、自分らしく恋をして、自分に合ったパートナーと暮らし、難しく考えずに子供を産み育てる選択ができる時代になればいいと願っています。
どれほど人間の成すべきことがAIに取って代わられても、恋愛だけは人間に与えられた尊い(あるいは愚かな)業として残るでしょう。誰かを愛し、恋い焦がれ、自分以上に他人を慈しむ感情は、きっと令和になっても残るはず……。
平成の31年間における恋愛や結婚や離婚の経験と、多くの取材により蓄積した知識は、決して無駄ではないと思っています。いつの時代も、恋の悩みは変わらない……令和がより生きやすくなるための一端として、私はこれからも恋や愛について語り続けようと思います。