紅と藍:染めの技術とともに発展した日本を代表する伝統色
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会は4月10日、会場のバナーなど大会の全般的な装飾に使う色について、紅と藍の2色を基本とする方針を明らかにしました。
どちらも日本を代表する伝統色ですが、具体的にどんな色をさすのでしょうか?色の素材は、土や岩石から採取する「顔料」と、植物の葉や根から抽出する「染料」に大別されます。紅や藍は染料に由来する色名です。
シルクロードを経由してもたらされた紅花
紅花から抽出される色素の色を「紅色(べにいろ)」と呼びます。紅花は絹を赤く染めるのには優れた色材で、口紅などの化粧用にも用いられました。紅を「べに」と呼ぶようになったのは近世からで、それ以前は「くれない」と呼びました。
紅花の原産地はエジプトやエチオピアといったアフリカ東部といわれます。シルクロードを経て、3世紀頃には日本に渡来していたのではないかと考えられています。当時、日本と交流のあった呉(ご)の国から入った染料なので「呉藍(くれあい)」と称しました。当時、藍は染料の総称でした。
紅花の花びらには、赤と黄の2種類の色素が含まれています。花びらから黄色の色素を大量の水で洗い流し、発酵や乾燥などで加工したものが、染料として染色に用いられます。
平安時代、紅花の染料は高価だったため、濃い紅花染めは禁色(きんじき)とされ、身分の高い人しか着用することが許されませんでした。一斤染(いっこんぞめ)は、許し色(ゆるしいろ:禁色ではない色)の限界を示す色名で、紅花1斤で絹一疋(2反)を染めた色を意味します。
江戸時代にも紅花染が禁制になったことがあり、蘇芳(すおう)や茜(あかね)を使って赤い色が染められるようになりました。真の紅色を意味する色名として、真紅(しんく)という色名が使われるようになりました。江戸時代の中頃には、都市を中心に、化粧品を商う「紅屋」が出店するようになり、繁盛しました。
木綿の普及とともに盛んになった藍染
タデ科の一年生植物タデアイで染めた暗い青のことを藍色といいます。6世紀頃、中国から伝わり藍染が始まり、安土桃山時代から江戸時代にかけて木綿が普及するにつれて、各地に「紺屋(こうや)」と呼ばれる藍染業者が登場しました。
藍染のバリエーションも非常に豊富です。薄い藍染の色を「瓶覗き(かめのぞき)」「覗色(のぞきいろ)」、黒く見えるほど濃い藍染の色を「勝色、褐色(かちいろ)」と呼びました。「縹(はなだ)」は青の古名といわれ、古くは藍で染めた色の総称として使われました。紺色も古い色名で7世紀の頃から使われていたようです。
【参考】
会場装飾、紅と藍で=日本の「伝統色」採用-東京五輪
『日本の色世界の色 写真でひもとく487色の名前』(永田泰弘著/2010年/ナツメ社)
『日本人の愛した色』(吉岡幸雄著/2008年/新潮社)