「東北でよかった」「がんは学芸員」…炎上が続く
今村雅弘復興大臣が、東日本大震災の被害について「まだ東北で、あっちの方でよかった」と発言し、被災地軽視と取れる失言の責任を追求され大臣の座を更迭されました。
政府与党内では昨年9月、務台俊介内閣府政務官が岩手県の台風被害被災地を視察した際、職員に背負われて水たまりを渡った自らの対応に関し「たぶん長靴業界は儲かったんじゃないか」と発言し、批判を浴びて辞任。直近では、山本幸三地方創生相が、4月16日に文化財の振興をめぐり「一番のがんなのは学芸員」と発言し炎上。翌17日に発言を撤回、謝罪したばかり。なぜこうも閣僚クラス政治家の失言が相次いでいるのでしょう。
「一強政権のおごり」の正体とは?
相次ぐ失言騒動にメディアの反応は総じて、「一強政権のおごり」あるいは「ゆるみ」と断じています。その正体は一体何であるのか。マネジメントにおけるマーケティング戦略的観点から考えてみると、見えてくるものがあります。
作れば売れる高度成長期が崩壊…
高度成長期における日本企業は、何をやっても右肩上がりが続いた好景気に支えられて、作れば売れる、そんないい時代を過ごしてきました。後にマーケティング用語で言われるところの、プロダクトアウト戦略がその当時の日本企業の典型的なやり方でありました。プロダクトアウトとは、何をやっても市場がついてくるという前提のもとに、自社の技術開発方針、商品開発方針を軸に作られたものを売る、いわば売り手市場の戦略です。
この流れは、バブル経済が崩壊する90年代初頭まで続くことになります。バブル経済崩壊がもたらしたものは、景気の急激な後退による経済的な収縮です。土地神話の崩壊により、右肩上がりの経済はこの時点で完全に終了を迎え、企業はプロダクトアウト姿勢の転換を余儀なくされることになったのです。
低成長時代に登場した受け手本位の「マーケットイン戦略」
すなわち、殿様商売の姿勢であったプロダクトインは何をやっても市場がついてくるという前提のもとに許された戦略であり、右肩上がり経済の崩壊と低成長時代への移行により、それは通用しなくなったのです。そこで変わって登場したのが、マーケットイン戦略です。
マーケットインとは、直訳すれば市場に入り込むこと。プロダクトアウトが企業の論理でモノを作って売っていたのに対して、購買者の立場で考え、モノを企画し、モノを作って販売する。時代の流れは、送り手本位から受け手本位へと大きく変わってきたのです。
国民本位の“マーケットイン政治”への移行が期待されたが…
政治の世界はどうかといえば、55年体制以降の自民党一党支配は、同じく右肩上がりの日本経済に支えられ、所得倍増計画、日本列島改造などのスローガンと共に長期安定政権を築き上げました。政権のおごりによる不祥事も間々ありながらも、安定的な経済成長に支えられ国民の支持を得ていた自民党一党支配の有り様は、まさにプロダクトアウト。政府が出す政策に国民が文句も言わずに受け入れていく、そんな姿がありました。
しかし、バブル経済の崩壊とともに、低成長時代にそぐわない自民党のプロダクトアウト姿勢に国民はNOを突きつけ、国民本位のマーケットイン姿勢と有権者の目に映った野党支持が急増して、自民党は長く続いた政権政党を下ろされることになるのです。その後、旧民主党政権下では二大政党時代の到来による、国民本位のマーケットイン政治への移行が期待されたわけなのですが……。
民主党政権の大失態による国民の自民党支持への回帰が、またもや自民一強政権時代への逆戻りを生み出し、今に至ります。55年体制のプロダクトアウト政治から、国民の意思によるその崩壊とマーケットイン政治への移行を果たしたはずだったのですが、どうやら自民党内部にその反省はなく、いまだに55年体制と変わらぬプロダクトアウト姿勢が抜けていない。相次ぐ閣僚クラス議員の失言をみるに、そう言わざるを得ない現状でしょう。
一党の問題ではなく、日本の政治そのものに課題あり?
しかし、思い起こせば、より国民本位と映り政権を取った民主党政権下でも、閣僚議員の失言辞任はありました。ならばこの問題は、単に自民党一党の問題ではなく、日本の政治そのものが孕む根本的な課題であるようにも思えます。
すなわち我が国の政治の世界では与野党問わず、