しかし、そのイメージは本当に正しいのでしょうか?
本記事では、日本のツキノワグマ研究をリードしてきた小池伸介氏の著書『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら〜ツキノワグマ研究者ウンコ採集フン闘記』(辰巳出版)より、クマの真の生態を紹介。さらに、「シカの増加による森林の衰退」という、この先クマ被害をもっと深刻化させかねない大問題を明らかにします。
クマは人間を殺して食べる恐ろしい動物か?
山村や里山の衰退によって野生動物が人里に下りてくることが増えてきた昨今、クマに対する人間の意識も変わってきているように思う。クマが人間を襲い、それがニュースになれば、人びとは、クマは怖い、クマは嫌いだ、と思うようになる。しかし、多くの人はヒグマとツキノワグマの区別がついてない。区別がついている人の多くも本州にヒグマがいると思っている。
だから、北海道でヒグマが人間や家畜を襲えば本州のツキノワグマまで嫌われるし、ツキノワグマが登山客と遭遇事故を起こせば北海道のヒグマまで怖がられる。
そして、特にテレビの報道はどうしても視聴者の関心を惹かなければいけないので、事実を伝えるよりも話を大袈裟にして恐怖心に訴えてしまいがちだ。すると、人々の間に「クマは人間を殺して食べる恐ろしい動物だ」という偏ったイメージが浸透してしまう。
もうひとつ、日本の林業は今、衰退傾向にあるが、海外の木材が高騰すれば再び盛んになるはずであり、そうなるとクマハギもまた問題になってくるだろう。このような背景から、今後は今以上にクマを駆除しろという風潮が高まっていくのではないだろうか。
私たちが気づいたときにはすでに九州のツキノワグマは絶滅し、40年以上前の駆除の結果、四国には10頭か20頭しか残っていない。四国のツキノワグマを絶滅させないため、ほかの地域からクマを移入させる再導入も検討されている。
しかし、地元の人にアンケートを取ると「クマは家から100kmくらい離れた場所ならいてもいい」と回答される。四国の中で100km離れた場所というと、往々にしてそこは四国ではない。四国の人にとってはクマとは接点がなく、事故だって40年近く発生していない。それでもクマにはネガティブな印象があるのだ。
そのような中で頭数を増やそうとしても、地元の人にとっては何のメリットもない。そこに生態系保全のやりにくさを感じている。
これは四国だけに限らず、全国ほかの地域でもそうである。私が山梨でクマの調査を行っていたときも、地元の人はクマに対して特に無関心であった。この無関心がクマの生息にもじわじわと影響を及ぼしているように思うのだ。
だから、私はクマのことをもっと研究して謎だった部分を明らかにしていきたい。クマの生態がもっと明らかになり、それが多くの人に知られていけば、人間はクマを必要以上に怖がることも嫌がることもなくなっていき、クマと人間がなるべく干渉しあわずにすみ分けながら暮らしていけるようになると思っている。
シカが森を食い荒らし、ブナが消え、クマが人間を襲う
さらに日本の森林で問題になっているのが野生のシカの急増である。国を挙げて駆除に乗り出したおかげで増加の勢いは何とかおさまったが、決定的な解決策が打ち出されているわけではない。何もしなければまたすぐに増えてしまうだろう。
シカのせいで日本の山地や森林の風景は一変してしまった。かつて森の下草として生い茂っていたササもすっかりなくなってしまったし、貴重な高山植物も食べ尽くされてしまった。そのせいで、藪の中で暮らしていた昆虫や鳥がいなくなり、生態系には大きな影響が出ている。
クマも例外ではなく、例えば丹沢ではこの40年でクマの食生活が変わり、以前は食べなかったものを食べるようになった。
カナダでは、もともとシカのいなかった大西洋側のある島に人間がシカを導入したことで、シカが大増殖した。その結果、もともと島に住んでいたアメリカクロクマが絶滅してしまった事例がある。
そこのアメリカクロクマは秋に地面になったベリー類を食べて脂肪を蓄えて冬眠していた。ところが大増殖したシカにそのベリー類を食べつくされ、冬眠ができなくなって数を減らしてしまったのである。
日本では秋にクマは高い木になるドングリを食べるので、シカが増殖してもすぐに食糧不足に陥ることはないだろう。
しかし、ドングリを実らせるブナ科の木々もいつかは寿命が尽きて枯れる。シカの増えたところでは、新たな芽生えすら食い荒らされてしまうため、次世代の木が育たない可能性が高まっている。そうなると、いつかは森林が縮小して日本のクマも絶滅してしまうのかもしれない。
なお、ヒグマはツキノワグマとくらべるとシカを襲って食べることが多いが、やはり食べ物の中心は植物なので、ツキノワグマと同じ道をたどる可能性が高い。森の衰退はヒグマにとっても深刻な事態なのである。
いずれにしても、森の恵みが小さくなれば、ヒグマもツキノワグマも食べ物を求めて人間がいる場所に出て来ざるをえない個体が今より増えることだろう。 この書籍の執筆者:小池 伸介 プロフィール
ツキノワグマ研究者。東京農工大学大学院農学研究院教授。博士(農学)。専門は生態学。主な研究対象は、森林生態系における植物―動物間の生物間相互作用、ツキノワグマの生物学など。現在は、東京都奥多摩、栃木県、群馬県の足尾・日光山地においてツキノワグマの生態や森林での生き物同士の関係を研究している。1979年、名古屋市生まれ。著書に『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら〜ツキノワグマ研究者ウンコ採集フン闘記』(辰巳出版)



