「空の絶対権威」としての機長
航空機の中での機長は、まさに「空の絶対権威」ともいうべき存在です。その最終判断には副操縦士も客室責任者も逆らうことはできません。安全確保のために必要な構造である一方、現場には「機長の言葉には従うべき」という空気が、しばしば感じられます。筆者の勤めていたヨーロッパ系エアラインには空軍出身のキャプテンが多く、それが「機長=絶対」という雰囲気を一層強めていたように思います。機長の多くは人望のあるリーダーでしたが、なかには職務外でも特別な権威をまとっているかのように振る舞う人もいました。
人徳者がその座に就けば、健全なリーダーシップが機能しますが、全能感に陥った人物が権限を振りかざせば、現場は途端に不安定になります。安全確保のために必要な制度ではあるものの、機長に権力が集中する構造を生んでいるとも言えます。
今回のJALの件も「機長にけん制できる人がいなかった」という負の側面が顕在化した一例なのかもしれません。
実は、1977年のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故をきっかけに、各航空会社でCRM(Crew Resource Management)が導入されています。これは「立場に関係なく乗員全員が声を出し合い、互いにチェックする」訓練で、副操縦士や客室乗務員が機長に異議を唱える練習もなされます。
しかし、実際のフライトでは人間関係や評価も影響するため、現場では依然として「機長に気を遣う空気」が残っていることも考えられます。
日本の飲みニケーション文化と処分の甘さ
日本社会には「飲みニケーション」という独特の文化があります。お酒を介して職場の上下関係を和らげ、普段言えない本音を語る場として重視されてきました。半ば仕事の延長として参加が求められることもあり、お酒を飲むことが人間関係の潤滑油とみなされる傾向は、今なお根強く残っています。また、「酔いつぶれること」への意識も甘いようです。筆者の夫(オーストリア人)は、日本滞在中に街中で酔客が電車や飲食店内の床で突っ伏して酔いつぶれている光景にたびたび遭遇し、衝撃を受けていました。ヨーロッパであればすぐに店から追い出されるか、警察沙汰となる場面でも、日本では「よくあること」として受け流されています。「酔った状態への寛容さ」は、社会の土壌に深く浸透しています。
ウィーンの高級ブランド店に勤めていた筆者の知人3人も、飲酒で厳しい処置をくだされた経験があります。昼休みにアルコールを飲み、そのまま午後の仕事に戻ったところ、店長に発覚して即時解雇されたのです。更正するチャンスも与えられなかったことから、その話を聞いた時はいたく厳しい措置に思えましたが、ヨーロッパでは勤務中の飲酒は「ゼロ・トレランス(規律違反の不寛容)」であることを示す象徴的な出来事でした。
人命に関わらない職種ですらこの厳しさなのですから、何百人もの命を預かるパイロットは言わずもがなでしょう。
日本の航空業界ではパイロットの酒気帯びが発覚しても、会社による停職・懲戒処分や行政処分(航空業務停止・文書警告など)にとどまり、刑事罰にまで及んだ話はほとんど聞きません。つまり社会的非難は受けても、なかなか刑事事件に至らないようです。
対照的にヨーロッパでは、飲酒乗務は刑法上の犯罪として扱われます。実際、2018年には、ロンドン・ヒースロー空港でJALの副操縦士から基準値を大幅に超えるアルコールが検出され、副操縦士はその場で逮捕されています。その後、裁判で禁錮10カ月の実刑判決が下り、日本でも大きく報じられました。
このほかにも飲酒乗務で逮捕された事例は、そのほとんどがヨーロッパ域内となっています。まさに「人命を担う立場の飲酒」は、欧州では即座に社会的・法的制裁を受ける重罪なのです。
パイロットの飲酒問題は、単なる「うっかりの酒癖」では片付けられません。空の絶対権威に加え、お酒に寛容な文化や制度の隙間が重なり合うことで、安全の根幹が揺らいでいると考えられます。空の安全を預かる者には、性善説に頼らない新たな仕組みと、社会全体での“酔い”に対する視線の厳格化が求められているのかもしれません。
この記事の執筆者:
ライジンガー 真樹
オーストリア ガイド
元CAのスイス在住ライター。南米留学やフライトの合間の海外旅行など、多方面で培った国際経験を活かして、外国人の不可思議な言動や、外から見ると実はおもしろい国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説記事を主に執筆。日本語・英語・ドイツ語・スペイン語の4ヶ国語を話す。
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