ロイター通信によると、アメリカ・コロラド州で20年前に起きたジョンベネ・パトリシア・ラムジーちゃん(当時6歳)殺害事件について、兄のバークさんが12日、初めてインタビューに応じた。
テレビ番組「ドクター・フィル」の取材を受けたバークさんは、ジョンベネちゃんの行方が分からなくなった当時の記憶として、「最も古い記憶は、母親が半狂乱になって『ああ神様、神様』と叫びながら私の部屋を探し回っていたことだ」などと語ったという。また、殺害後やその数年後にも捜査員から質問を受けていたことなどが分かったという。
ジョンベネちゃん殺害事件は、20年前の発生当時に大きく報道され、今も関心が高い。一体どのような事件だったのだろうか。
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ジョンベネちゃん殺害事件とは
ジョンベネちゃん殺害事件は、普通の幼児殺害事件では考えられないほど、アメリカ中でセンセーショナルに報道されたという。その一番の理由というのは、殺害されたジョンベネちゃんは、当時6歳ながらすでにいくつもの美少女コンテストを制覇しており、父親のジョンさんは会社経営者、母親のパッチーさんも美人コンテストの優勝経験者と、まさに「セレブ」なお嬢様だったという。
そんなジョンベネちゃんが、1996年の12月26日に、突如コロラド州ボルダーにある自宅の地下で遺体となって発見された。遺体は頭部に強い打撲の跡があり、またコードで首を絞められ、暴行された形跡もあったと言われている。
無残な遺体とともにあったのが、身代金を要求する脅迫状。しかし、ジョンベネちゃんは誘拐されずにその場で殺害されており、奇妙な部分が多い事件とされていた。
警察に容疑者扱いされた両親。その理由?
この事件では警察は両親を最初から疑っていた。それは主に以下の理由によったといわれている。
- 父親のジョンさんが第一発見者である。
- 犯行当時外は雪が降っていて、外部の侵入者のものと思われる足跡や侵入の形跡もなかった
- 要求された身代金の金額は118,000ドルで、ラムジー家にとっては少額であった
- またその金額はジョンさんのボーナスとほぼ同じ金額であった
- 脅迫状はラムジー家にあったペンで書かれていた
- 脅迫状の筆跡がジョンさんのものと似ていた
- ラムジー夫妻は犯行後に何ヶ月もの間警察に協力しなかった
これらの状況から、現地ボルダーの警察は外部の犯行ではなく、ラムジー夫妻の犯行として捜査を進めていた。そしてあらゆるメディアがこの事件を取り上げ、中にはラムジー夫妻のことを面白おかしくとりあげるゴシップ誌もあったという。
証拠不十分のまま事件は大陪審へ
状況証拠はあっても、両親が殺害したと示す物的証拠は何もなく、警察は両親を犯人として捜査を進め、両親を事情徴収したり、うそ発見器にかけたりしたが、決定的な証拠が得られないまま1998年に、事件はついに大陪審に持ち込まれることとなった。
大陪審というのは、有罪無罪を決定するいわゆる陪審員と違い、事件を起訴するかどうかを決める陪審員のことという。大陪審が呼ばれることはかなり稀で、容疑者が死刑になるような事件や社会的影響の大きい重大事件のみ、大陪審が結成される。この事件の場合も、大陪審がラムジー夫妻を起訴するか決めることになった。
大陪審は1年もかけてラムジー夫妻の起訴を検討したが、翌1999年に起訴しない結論に至る。
事件から20年 それまでの捜査に進展は?
ラムジー一家は、1997年7月にジョージア州のアトランタに新しい自宅を購入。そして2003年にはボルダーの家からミシガンに、翌2004年には購入したアトランタの家に引っ越している。
また、2002年にはボルダー郡の司法当局によって結成された特別調査チームが、地元警察からジョンベネちゃん殺害事件の捜査を引き継いだ。
2003年12月には、ジョンベネちゃん死亡当時の下着についていた血液からDNAが採取され、鑑定された。地元警察は両親を第一容疑者と考え、DNA鑑定を行っていなかったためで、DNA鑑定の結果、それはラムジー家とは関係のない男性のものであることが判明。つまり、両親は完全に容疑から外れたことになる。
2006年8月にバンコクでジョンベネちゃん殺害事件の容疑者が逮捕されたが、DNA鑑定の結果でジョンベネちゃんの下着についていたDNAと一致せず、犯人の行方はまた闇の中に戻り、事件発生から20年たった今も事件解決に向けて大きな動きはないままだという。
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