韓国の人は対人距離が近い?
先日知り合いに「韓国の人ってパーソナルスペース狭いですよね?」と聞かれ、思わず「え? そうかな?」と一瞬思った。韓国暮らしも長くなり、自分がそれなりに現地に溶け込んでいたからだろうか、そういえばパーソナルスペースに関して意識しなくなっていることに気づいた。
その方曰く「韓国のテレビ番組などを観ていても、タレントたちの互いのボディタッチを含め、対人距離が近いように思える」とのことだった。そう言われて、韓国で暮らし始めて間もない頃の、まさにそのパーソナルスペースにまつわるとまどいを思い出した。なるほど、確かに日本の一般的な対人距離と比べると、日常でも絶妙な密接さが韓国の人たちの間にはある。
街では、手をつないで歩く女子高生、肩を組んで歩くおじさんたちを普通に見かける。食事をしていても、みんなで一緒につついて食べる料理が多いということもあるけれど、隣の人との距離は近く、肘と肘がぶつかり、そのぶん顔の距離も近い。
バス待ち、停留所前の椅子で、私のすぐ隣におばさんが腰掛けた。「私だったらもうちょっと離れた所に座るけれど……」と思うような近さに、だ。 席に座っていたのは私一人で、椅子は長い。自分が腰を浮かせて移動するにはあからさますぎて、居心地悪さを感じながらもバスが来るまでそこに座っていた。
まだ娘が赤ちゃんだった頃の話だが、信号待ちの際、近くにいたおばあちゃんがすぐ隣までやってきてベビーカーのぞき込み「かわいいねえ。一番かわいいときだねえ」と褒めながら娘のほっぺを撫でた。この経験も一度や二度ではない。
日本人としての暗黙のパーソナルスペースが体に染みついていて私にとっては、どれも抵抗感を伴う距離感だった。「え?こんなに近づいてきちゃうの?」というような。
それらは最初の何年間か、確かにストレスとして存在したのだけれど、ゆっくりと自分の日常に溶け込み、十数年が経った今では、さほど意識しなくなるほどにまでなった。むしろ、すぐ隣におばさんが座り、独り言にも似たようなおしゃべりを始めれば、バス待ちの間のいい話し相手ぐらいに思い、言葉を交わしたりもする。自分も随分変わったものだと思う。そんなふうに一期一会の人たちとの距離が近めな韓国で、それをさほど気にしない、時に楽しめるくらいにまでなったのだから、既に私のパーソナルスペースはこの国の標準に近づいたのだと思う。
親しい人との距離感はもっと近い
見ず知らずとの人との距離もやや近いなら、親しい人なら当然もっと近い。親しい友人に道でばったり会えば、「うわ~○○さん、どこ行くの?」と言いながら偶然を喜び、互いに肘まで握り合う。飲み会の帰りには友人二人が私の両脇に腕を回し、がっしり腕を組んでいる。自然に、だ。時々10代だった頃、友人ときゃきゃっとふざけていたあの頃の感覚が思い出される。
お兄さん、お姉さんという呼称で呼び合うような関係なら、同性同士のボディタッチはよくあること。BTSはじめ、K-POPアイドルが男性同士でもぎゅっと抱きしめ合ったりするシーンなどをみて、ファンの友人曰くどきっとすることがあるという。
相手が異性となると少し話が違ってくるが、それでも「よそよそしい」という言葉が当てはまらないほどの距離感、つまり肩が触れるほどの距離で隣同士にいても恋人とは限らない。そういえば、日本から遊びに来ていた友達と韓国のバラエティ番組を見ていたとき、「あのタレントとあの歌手なんか怪しい……」と勘ぐったり、別の番組でも「あの二人ってすごく仲良しだよね」とよく言っていた。それはボディタッチを始め、呼称で呼び合いプライベートな話を暴露し合う様子を見ていての発言だったけれど、日本人の感覚からすると、一線を越えた距離感に感じるのも納得できる。
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「ソーシャルディスタンス」で変わる、韓国の人々の距離感
そんな韓国もコロナ禍で随分と変わった。「ソーシャルディスタンス」が厳しく叫ばれる韓国では、今や公共交通機関をはじめ、どんな場所に行っても座席や道路に人と人との距離を保つための表示がある。飲食店に行けば各テーブルには席ごとにアクリルパーテーションが設置されているし、あまりに近づきすぎていると人目が気になる社会になった。
私がいつも利用するバス停留所前の長椅子には、ソーシャルディスタンスを促すシールが貼られている。座っていい場所に丸いシールが貼られているのだが、その間隔は以前のように見知らぬ隣人に気軽に声をかけられる距離ではない。座るべき場所に離れて座る二人の女性を後ろから眺めていて思った。コロナ禍でなでなければ、あの見知らぬ者同士の二人の距離はもっと近かったに違いない、と。