沖縄県の象徴として名高い世界遺産「首里城」が大規模火災に見舞われ、2カ月が経過しました。こうしたなか、沖縄出身の芸能人による「首里城復興プロジェクト」がスタート。その最大のサプライズとして、2018年の9月に引退した安室奈美恵さんが一夜限りの復活を果たす、可能性がある?……と、一部のニュースサイトが報じておりました。
「一夜限りの復活」を期待してしまう心理
どこまで信ぴょう性があるのかは怪しいものですけど(笑)、仮に実現したとなれば、その集客・集金力は半端じゃなく、首里城復興にも大きな貢献をもたらすことは間違いありません。もし安室さんがそこまでの郷里に対する愛着があるなら、それはそれで素晴らしいことだと思います。いっぽうで、いくら「復興」が黄門様の印籠代わりとはいえ、一度引退して“一般人”に戻った人物を無理やり公の壇上へと引っ張り出すのはいかがなものか……といった疑問も。
人道的な見地からして、その「一夜限りの復活」を期待してしまう心理が良いことなのか悪いことなのか、ぼくにはよくわからないのが正直なところです。ただ、「復興」といった、なかなかには足蹴にできない“大義名分”を一度きれいさっぱりと取っ払ったうえで、安室さんの復活を吟味してみると……個人的にはやはり「もうアーティストとしてメディアには出てほしくないな……」との想いのほうが、どうしても勝ってしまうわけであります。
なぜかネット上ではあまり話題になっていなかったのですが、去年12月1日発売の『家庭画報』1月号に三浦百恵──そう。あの、かつての国民的大スター・山口百恵さんのロングインタビューが掲載されておりました。引退後は一貫して芸能界やマスコミとは距離を置いており、盗撮めいた“日常写真”こそ稀に報じられてはいたものの、このように百恵さんがメディア上に、公式的なかたちで大々的に登場するのは、ぼくが記憶するかぎり、初めてなのではないでしょうか。
“素人”のように無防備な表情で……
そのインタビューは、日本キルト界の第一人者だという鷲沢玲子さんの“弟子”として登場。あくまでフォロワーとしてのスタンスを崩さず(表紙の見出しも鷲沢さんの名前が先にありました)、自身はじつに控えめに……“師匠”を立てる役回りに徹しようと努めている、どこかほっこり感がただようニュートラルな読み物……との印象を受けました。
しかも、文中に添えられていた二枚の写真は、どれもいわゆる計算され尽くした“芸能人スマイル”ではなく、まるで“素人”のごとくに無防備な表情──おそらく「このヒトが百恵ちゃんですよ」と言われずに見たら、大半の読者がスルーしてしまうことでしょう。つまり、作品集を出版できるほどにパッチワークキルトの虜となった三浦百恵さんは、いまだ歌手としては沈黙を守り続けているわけで、だからこそ「山口百恵」は風化することなく、なお伝説として語り継がれていくのです。
そして、「伝説」というやつは、その“本体”が“完全消滅”してこそ、よりいっそう肥大化する性質があります。ビートルズは再結成しなかった(できなかった)からこそ伝説になった。日本のアーティストで例えるなら、尾崎豊さんあたりも「完全消滅→伝説」パターンの一人、サッカーの中田英寿さんなんかは「旅人」として、しばしメディアに顔を晒したりしているせいか、少々レジェンド性は弱い気がします。
文春砲からインターネットまで……ちまたで溢れかえる情報に衝立を立てるのが困難となったこの時代に、安室奈美恵さんは“潔い引き際”で日本音楽界の歴史に名を残せる最後のアーティストなのかもしれません。ゆえに、ぼくは自分本位ながら、心の中でこう願います。後生なので、これ以上アムロちゃんを誘惑するのはやめて、もうそっとしといてあげて……と。
最後に。誤解のないよう、念のためつけ加えておきますが、ぼくは松田聖子さんや浜崎あゆみさんみたいに、ピークを過ぎてもステージに立つことをやめないアーティストだとか、老体に鞭を打ちながら、ときにはボーカルをすげ替えてまで世界ツアーに挑む、かつての大御所バンドだとかを否定しているわけでは決してありません。継続は力なり──これはこれでまたすごいことだ……と、惜しみないリスペクトの意を、皮肉でもなんでもなく感じてやまないのです。