夫婦喧嘩なんて、まるでなかったのに……
多感な10代後半に親が離婚したとき、子どもは何を思うのだろうか。喧嘩ばかりしていた家庭なら、子どもも離婚に納得できるだろうが、目の前での夫婦喧嘩はほとんど見たことがなかったと、アカリさん(30歳)は言う。
父がいなくなった
高校に入ったばかりのころだった。ある日、突然、父がいなくなった。父の服も靴も、父を思わせるものはすべて消えていた。
「私と中学2年の弟を前にして、母は『おとうさんとおかあさんは離婚したの。これからは3人でがんばっていこう』と言いました。弟と顔を見合わせて、どういうことかと聞いた記憶があります。母は理由を言わなかった。とにかく、これから不自由させるかもしれないけど、あなたはもう大人なんだから助けてちょうだいと、母は私をじっと見ながら言いました」
アカリさんも、離婚について母親からじゅうぶんな説明をされていない。父は明るいタイプではなかったが、家族をないがしろにする人でもなかった。大事なときには寄り添ってくれた。
「中学のとき、私、同級生に無視されたことがあったんです。それを訴えたら、母は『気にすることないわよ』と言うだけ。父はじっくり私の話を聞いてくれて、『おまえはどうしたいんだ』と。無視されても平然と自分の道を行くこともできる、学校に親が訴えかけることもできる、転校したっていいんだぞ、と。あ、道はひとつじゃないんだと気づかせてくれたのが父でした。結局、同級生の無視は1カ月足らずでやんだのですが、あのとき、私は日頃無口な父を尊敬したんです」
アバウトな母と、神経こまやかな父。そんな組み合わせだったのだとアカリさんは今も思っている。だからこそ、父の不在は彼女に母への不信感を植えつけた。
弟が荒れるのではないかと気にしたが、むしろそれまでよりやさしくなったという。母への気遣いがそうさせたのかもしれない。同じ子どもでも、反応はそれぞれだ。
母への不信感は募る一方だった
もともと共働きで、父はマンションのローンを払い続けてくれたようなので、経済的に困窮することはなかった。
「それでもお小遣いがほしいとは言い出せない感じだったので、高校時代はけっこうアルバイトをしていました。親が離婚したからって荒れるのは子どもっぽいと思っていたけど、ときどき、遅く帰ってきた母が妙に色っぽくなっていることがあって。それは娘だからこそ感じますよ。母に男がいたことが離婚原因だったのではないかと、ますます母への嫌悪感が増していきました」
早く自立したい。そう思った彼女は高校を卒業してすぐ働き始めた。だが、生きること自体を肯定しきれず、鬱々とした日々だったという。そんなとき知り合った6歳年上の彼とつきあってすぐ妊娠。20歳で結婚したものの、夫の精神的暴力に耐えかねて、子どもが生まれる直前に離婚した。
「そのとき救ってくれたのが母の存在でした。母は弁護士をつけてくれて、彼から慰謝料や養育費をきちんととれるよう算段し、私の出産も助けてくれたんです」
母は安易な結婚をした彼女をひと言も責めなかった。それどころか、一生続けられる仕事を見つけなさいと看護学校のパンフレットまで取り寄せた。
「本当は私、看護師になりたかったんです。母はそれを知っていたんですね。母の助けを借りながら看護学校へ行き、今は看護師として働いています」
母と娘とアカリさん、そして大学を出て就職した弟も一緒に暮らす。母はいまだに離婚した理由を言わない。だがアカリさんも、もう尋ねる気はないという。
「夫婦には夫婦にしかわからないことがあります。私も短期間にいろいろなことがあったので、親といえども人の決断には口を出せないなと思って。その点、弟がいちばん賢い選択をしているのかもしれませんね」