家柄や収入差などの「格差婚」、本人同士がよければうまくいくはずなのに、やはり結婚してから問題は起こるよう。妻側の家柄と収入格差に泣いた男の話とは。
彼女がどうしても結婚したいというから
ヨシノリさん(43歳)が、のちに妻となるエミさんと知り合った15年前、彼女は某大学の講師だった。そして彼女の父親は某大学医学部の教授、母も某大学教授、兄は医師、弟も某研究所勤務の研究者。父方も母方も、医師や大学教授、研究者などが代々揃っているのだという。
「一方、僕のほうは父は町工場の職人、母はパート主婦。どちらの家系もアカデミックではないし家柄がいいわけでもない。僕自身、フリーランスで音楽をやったり絵を描いたり、ときには何でも屋をしたり。彼女とは何でも屋をしているときに知り合ったんです。ひとり暮らしのマンションで、模様替えをしようとしたけどできないから手伝ってほしいと言われて。大学時代の同期の友人からの紹介でした」
それが恋に結びついてしまった。堅い家庭で育った彼女から見たら、彼の野放図な生き方が新鮮だったようだ。
「30歳のときに結婚を迫られました。彼女は3歳年上だったから、少し焦っていたのかもしれません。最初は信用しませんでした。僕みたいな男と結婚したがるなんておかしいと説教したくらいです。でも彼女はどうしてもあなたと結婚したい、と。まあ、僕を家に連れていけば親やきょうだいが断ってくれるだろうと思ったんです」
ところがアカデミックな家庭は一風変わっていた。大人なのだから好きにしなさいという雰囲気。ただ、ワインについてもよく知らないヨシノリさんは、両親やきょうだいから下に見られたと感じた。帰り際に父親がひと言。
「家風になじまないのはこっちはいいが、きみはつらいかもしれないね」
結局、『実家』を持ち出す彼女
彼女が結婚式は挙げたくないというので、彼が彼女のマンションに転がり込むような形で結婚生活は始まった。彼は相変わらず自由な生活を送っていたが、家事はほとんど引き受けた。
「最初は快適でした。彼女も喜んでくれていた。ところがだんだん実家が恋しくなってきたんでしょうか。『今度、うちでホームパーティーがあるから来て』と言われて。気が進まなかったけど、どうしてもと言われて行ったんです。そうしたら来ているのは外国の人ばかり。お兄さんが留学していたころの友人たちが来ていたそうです。飛び交うのは英語やフランス語、ドイツ語。僕は部屋の片隅でボーイと化していました。それも無口なボーイとして」
誰も彼を気にしなかった。妻であるエミさんさえも。みんなおしゃべりに夢中だったのだ。そんなとき、妻の父親と目が合った。「きみにはつらいかもしれないね」という言葉が蘇る。
「格差婚といっても、相手方が成金みたいな家庭ならまだつらくはなかった。芯から別世界の人たちなんですよ。収入がどうこうより、生まれ育ちが違う。そのパーティーで身にしみてわかりました。環境の違いは埋められないんです」
その後、ヨシノリさんはエミさんに離婚を申し出た。エミさんは、足繁く実家に顔を出してくれればそのうち慣れると言い張る。それは違う、もう埋められない溝があると彼は告げた。
「それでも彼女はなかなかわかってくれず、僕を実家に連れて行こうとするので、たびたびそのことでケンカになりました」
彼女がついに折れたのは3年後。ようやく離婚が成立した。その後、彼女は兄の友人と再婚、環境が似た人と一緒になったためうまくいっているという。
「ただ、僕もいまだに彼女と友だちづきあいをしています。友だちとしてなら格差があってもやり過ごせる。彼女の愚痴を聞いたり、新たな仕事をもらったり」
よくわからない結婚生活だったが、違う環境を垣間見ることができたのは損ではなかったのかもしれないと彼は言う。
水と油はやはりなじまないということなのだろうか。