浮気、借金、暴力が離婚の三大理由と言われて久しい。今も変わりはないのかもしれないが、それ以外の理由で別れる女性たちも少なくない。では三大理由以外で女性が離婚を決意する理由は何なのか。それを探っていくと、「今どきの夫婦のありよう」や「妻が夫に求めること」などが見えてくるかもしれない。
夫のモラハラを自覚できなかった……44歳、アヤコの場合
どういう状態にも人は「慣れる」ものだ。慣れてはいけない場合であっても、それがあまりに当たり前の日常になってしまうこともある。
「私は娘から、夫のモラハラを指摘され、ようやく別れる決意をしました」
そう言うのはアヤコさん(44歳)だ。26歳のとき、8歳年上の職場の先輩と結婚した。仕事ができる人だったし頼りがいもあったという。
「当時の8年先輩は大きかったですね。私は尊敬している先輩と結婚できてうれしかったけど、その力関係のまま結婚生活が始まってしまったような気がします」
27歳で長女を、29歳で次女を産んだ。「おとうさんを中心に」、常に家庭を作ってきたという。
「夫がまた一昔前のタイプでした。でもうちの父親もそういう人だったから、なんとなくこんなものだろうと思っていたんです」専業主婦だからといつも家の中をきれいにし、お総菜や冷凍食品など買ったこともなかった。子どもが小さいときは、自分が熱を出しても家事炊事は完璧にやった。
「ただ、残業代も減って実質、夫の給料は目減りしているし、一方で学費も習いごと代もかかる。子どもたちに不自由させたくなかったから、長女が中学に入ると同時に私もパートに出るようになりました。夫は『オレの給料でやっていけないのはおまえのやりくりが下手だからだ』と言ったんですが、そのときは家計簿を全部見せて納得してもらいました」
パートに出てみて、いろいろな世代の女性たちと話す機会が増えてみると、夫に対して「感じないようにしていたこと」が、「やはりおかしいこと」に変わっていった。
娘の言葉で人生を振り返って
思い起こせばずっとそうだった、とアヤコさんは言う。
「子どもが幼稚園時代にいたずらしたときも、夫は『おまえの教育が悪いからだ』と。熱を出しても風邪をひいても、私のせい。子どもの成績が悪くても、『おまえが頭が悪いからだ』って。一応、夫と同じレベルの大学なんですが(笑)。それでも、この人は私を下に見ることで自分のプライドを保っているんだろうと気にしないようにしていたんです。だけどパート先で本音で話せる友だちができてみると、やっぱりうちの夫はかなり横暴だわと思うようになりました」
いつだったか、アヤコさんが髪をショートにしたことがあった。自分では気に入っていたのだが、夫は「美人はショートカットが似合うけど、おまえじゃなあ」とため息をついたという。そうやって夫によって自信を喪失させられてきたのだ、長い間。
「それでも我慢できると思っていたんです。夫は娘たちには悪い父親ではないと思っていたから。でも長女が高校生になったころかな、『おかあさん、私たちのために我慢しなくていいんだよ』と言い出した。彼女は中学時代に一時期、不登校になったことがあったんですが、それについては夫に内緒にしていたんです。娘はそのことを私に感謝しながらも、『私はおかあさんがずっとおとうさんにバカにされながら暮らしていることがイヤだった、今もイヤだ』と泣きながら訴えてきて。子どもたちのためにと思ってがんばってきたのに、と私は複雑な気持ちでした」
だが、アヤコさん自身、父親に罵倒されている母を見るのがつらかった記憶がよみがえった。同時に夫からのモラハラについて、自分でもいろいろ調べてみた。地域の女性センターにも相談に行った。
「娘たちとも毎日話し合いました。特に長女は“人権”ということを非常に一生懸命考えたり調べたりしていた。ここは一度、反旗を掲げてみるのがいちばんいいんじゃないかということになって」
アヤコさんは結婚記念日を選び、いつになく凝った手料理を作って夫を待った。娘たちは近くの親戚の家に遊びに行き、夫婦だけの時間を作ってくれた。
「夫は料理を見るなり、いつになく上機嫌になって。やはり私さえ我慢すればという思いがわき起こってきたけど、その気持ちを振り捨てて、夫に対して今までの不満をぶちまけました。いつまでも会社での先輩後輩のままの関係だと苦しいと訴えたんです。でも夫は聞く耳をもたなかった。最後は『おまえは誰のおかげでで毎日ごはんが食べられるんだ』と言い出した。そこで娘たちが入ってきて、もうだめだよ、おかあさんって」
娘ふたりはこっそり帰ってきて様子をうかがっていたのだ。長女に言われてからずっと、アヤコさんは夫のモラハラや暴言を録音してきた。このときの話し合いも、もちろん録音してある。
母と娘ふたりは翌日、急遽、親戚が用意してくれたアパートに引っ越した。そして証拠品をもって弁護士の元へ行き、離婚手続きに入った。
「夫は一度も戻ってこいとは言わなかった。プライドの高い人だったんでしょう。たいした財産はなかったけど、でも半分、きっちりもらいました。娘たちの学費も夫が払うことになりました。最後の最後に夫に会ったんですが、『かわいい娘たちを授かったことは感謝してる』『今までありがとう』と言ったのに、夫からはひと言もありませんでした。飼い犬に手を噛まれたような顔で、目を背けましたね。ああ、こういう人だったのかとがっかりしました」
気づかなければ、見て見ぬふりをしていれば、結婚生活はまっとうできたかもしれない。だが、『私たちが自立したら、おかあさんはどうするつもり? それでも90歳まで我慢するの?』と長女に言われて、アヤコさんは目覚めた。
「振り返れば“自分自身”を見失ったような結婚生活だった。夫を怒らせないよう、夫に文句を言われないようにと顔色ばかりうかがって。今、娘たちと3人で生活するようになって、毎日ケラケラ笑っているんです。そういえば私は若いころはよく笑っていたなと思い出して。娘のひと言がなかったら、母から私につながった負の連鎖を娘に伝えてしまうところでした。今どきの子は強いしエライと我が子ながら感じています」
自分を見失うような生活に慣れきっていたアヤコさん、今は毎日が新鮮だという。