新監督は“ドーハの悲劇”の体験者
2020年の東京五輪の監督に、森保一(もりやす はじめ)氏が指名された。
実績は申し分ない。Jリーグ開幕前の日本サッカーリーグで頭角を現わし、1992年に日本代表に初選出された。森保はサンフレッチェ広島の前身となるマツダでプレーしており、同クラブで監督をしていたオランダ人のハンス・オフトが、日本代表の監督に就任したことによる抜擢だった。
カズこと三浦知良やラモス瑠偉、井原正巳や都並敏史らが中核を担うオフトのチームで、当時の彼はまったくの無印だった。しかし、チームの初陣となったアルゼンチン代表戦でスタメンに指名されると、中盤の守備的なポジションでハードワークする姿が評価を集めた。この試合をきっかけに定位置をつかみ、オフト率いるチームに不可欠な選手となっていくのである。
日本サッカーの歴史に残る“ドーハの悲劇”の体験者でもある。初のワールドカップ出場を土壇場で逃した93年10月28日のアメリカW杯アジア最終予選のイラク戦で、左サイドからのクロスをブロックしようとしたのが森保である。森保とカズが止めきれなかったボールは、日本がW杯出場圏内から転落するヘディングシュートにつながったのだった。
6年間で3度のJ1リーグ優勝を達成
クラブレベルでは広島から京都、仙台と渡り歩き、03年シーズンを最後に、スパイクを脱いだ。その後は古巣の広島に籍を置きつつ、05年から07年にかけて若年層の日本代表でコーチを務めた。07年にはのちに日本代表となる内田篤人、槙野智章、柏木陽介らが出場したU-20W杯で、吉田靖監督をサポートしている。
監督としてのキャリアは、12年の広島で踏み出された。就任1年目でいきなりJ1リーグ制覇を成し遂げると、翌年も優勝を飾る。15年にも広島をリーグ制覇へ導いた。今年7月までの6シーズンで、実に3度の優勝を果たしたのだ。五輪代表の監督は「Jリーグで実績をあげた日本人指導者」の系譜でもあるが、Jリーグの優勝監督の就任は初めてとなる。
守備力が高いチーム?どんなチームになる?
五輪代表監督としての最初の論点は、どのようなサッカーを目指すのかだろう。
広島を率いていた当時の森保監督は、3-4-3とも3-6-1ともとれるシステムを採用した。ミハイロ・ペトロヴィッチ前監督のもとで構築されたシステムを引き継ぎ、より守備力の高いチームへレベルアップさせていった。
ただ、このシステムはJリーグで少数派に属するものだ。所属クラブで日頃から馴染んでいる選手は多くない。
それと同時に、代表チームは短期の活動の繰り返しである。トレーニングに割ける時間はクラブより圧倒的に短く、それでいて着実な前進が求められる。今後の強化スケジュールにも左右されるが、まずは選手たちが機能しやすいシステムからチームを立ち上げるのが現実的な選択肢だ。
東京五輪世代には久保建英の名前もあるが……
メンバーについては、今年5月のU-20W杯でベスト16入りしたメンバーが核になっていくだろう。
守備陣では柏レイソルでレギュラーをつかんでいるセンターバックの中山雄太(なかやま ゆうた)、J2のアビスパ福岡で定位置を確保する冨安健洋(とみやす たけひろ)らが頼もしい。
攻撃陣では堂安律(どうあん りつ)に注目だ。U-20W杯で4試合3得点の結果を残し、7月からオランダ1部のフローニンゲンでプレーしている。ガンバ大阪からの期限付き移籍だが、活躍次第でレンタル期間の延長や完全移籍などの選択肢も浮上してくるだろう。
現在はFC東京U-18に所属する久保建英(くぼ たけふさ)も、将来的には13歳まで所属したバルセロナ(スペイン)へ戻る可能性がある。近未来の日本サッカーを背負う超逸材は、東京五輪を19歳で迎える。バルセロナへの復帰は彼の成長を後押しするはずだが、そうなると五輪代表の活動には継続的に参加できなくなるかもしれない。
というのも、五輪世代の活動はFIFA(フィファ・国際サッカー連盟)の管轄下に置かれていない。日本代表のようにサッカー協会に主導権はなく、選手の招集は所属クラブの判断に委ねられる。16年のリオ五輪では、一度はクラブ側からOKの出た久保裕也の出場が、クラブにケガ人が出たことにより急きょ撤回されている。
ともあれ、2020年の東京五輪を戦う指揮官は決まった。1968年のメキシコ五輪以来となるメダル獲得を託された森保監督のチームは、12月の国際大会で初陣を飾る予定だ。