かつて世界最速のクルマはベクターだった
1971年にアメリカのカリフォルニア州ウィルミントンに、ゼラルド・ヴィーゲルによって設立されたバイシクル・デザイン・フォース社は、自転車などの空力デザインをおもなビジネスとした会社であったが、ヴィーゲルは設立当初からスーパーカーのビジネスに強い興味を抱いていた。ようやくファーストモデルとなる「W2」が完成したのは1978年になってからの話で、この年のパリサロンでW2は華々しいデビューを飾る。フェラーリはまだBB、ランボルギーニもカウンタックを生産していた時代、そのきわめて個性的なフォルムを持つW2への視線はおおむね好意的だった。パリサロンが終了すると、ヴィーゲルはすぐにそれをプロダクションモデル化するための作業に取りかかるが、それは簡単なプロセスではなかった。
W2でのコンセプトは、最先端の技術と素材を採用したスーパーカーというものであったので、プロダクション化に伴って、それを低コスト化のために変更することは許されなかった。ボディはCFRP、ケブラー、グラスファイバーを贅沢に使用したもので、それだけでも生産資金を調達するには多くの困難が待ち受けていた。結局W2は「W8」と車名を変え、ようやく1988年には量産化にも実現の可能性が生まれた。
ベクターW8のミッドに搭載されるエンジンは、6リッター仕様のV型8気筒OHVツインターボ。最高出力は625馬力、最大トルクは880Nmと発表されているから、これは現代においても十分に魅力的なスペックである。組み合わされるミッションが3速ATであることが、唯一時代を物語る部分といえるだろうか。
ちなみに当時のベクターによるテストデータによれば、0-60マイル加速は4.2秒、最高速は242mph(約387.2km/h)を達成できたという。実際にデリバリーが行われたのは1990年から1993年まで。販売台数はわずかに19台だったとされている。
すべてあわせても50台以下しか流通していない激レアスーパーカー
そのベクターは、W8の生産を厳しい経営状態の中で続けつつも、それに続く次世代モデルのプランを進行させていた。このニューモデルは1990年代初頭には市場へと投入される予定で開発が進められ、実際にコンセプトカーの「AWX3」は1992年のジュネーブショーで披露される。それに前後してベクター・エアロ・モーティブ社は、当時ランボルギーニの親会社でもあった、インドネシアのセトコ・グループからの敵対的買収を受け、AWX3も当初計画の自社製の7リッター版V型12気筒エンジンから、ランボルギーニ・ディアブロに搭載されていた490馬力仕様の5.7リッターのV型12気筒エンジンへと変更を余儀なくされた。
新たに「M12」のネーミングを得たこのモデルの0-60マイル加速は4.8秒、最高速は189mph(約304km/h)というのが当時のテストデータである。
実際にカスタマーに販売されたM12は14台。今では貴重なコレクターズアイテムとなっていることは確かなところだろう。
Text:山崎元裕
提供:WEB CARTOP
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