50~60年代のアメ車を象徴する「テールフィン」

 1950年代から60年代のアメリカ車をもっともイメージづけるワードは「テールフィン」、あるいは「フィンテール」とも言われていますが、今から思えばいかにも退廃的なデザインでした。しかし、もちろんそれを愛するファンも少なくないようです。今回はかつてのアメリカ車の象徴となった「テールフィン」を振り返ります。
 
 

じつはアメリカ車以外が先陣を切っていた!?

 テールフィンと言えば1950年代から60年代にかけてのアメリカ車、という図式が考えられます。実際にテールフィンを初めて採用したのは1948年モデルの「キャデラック・シックスティスペシャル」というのが通り相場でした。実際、キャデラックのフルサイズとして戦前の1938年に初代モデルがデビューしたシックスティスペシャルは、1948年にフルモデルチェンジを受け、初の戦後モデルとなる第3世代に移行していますが、その48年モデルのリヤビューには「ロッキードP-38ライトニング」……三胴設計の双発単座戦闘機にヒントを得た、と言われるテールフィンが備わっていました。
 

 しかし、いろいろな文献を調べていったところ、3代目のキャデラック・シックスティスペシャルがデビューする前年、1947年に誕生していたモデルでテールフィンを備えていたクルマがあることが分かりました。それはアメリカから遠く離れた、ヨーロッパはイタリアで誕生しています。そのクルマは「チシタリア」(Cisitalia =Compagnia Industriale Sportiva Italia)というメーカー。ポルシェで開発した4WDのGPカー「Typ360」が有名ですが、こちらはほぼ同時期の、レース出場を前提とした2シーターのスポーツカー、「202」にテールフィンが装着されていたのです。
 

 手許にある写真は、トリノにある国立自動車博物館で出逢った1台、「202SMM」のスパイダーでヌボラーリがミッレミリアで勝ったことをアピールして「スパイダー・ヌボラーリ」のサブネームがつけられています。初号機などにはもっとはっきりとした垂直尾翼が左右に2枚立てられていたようですが、このスパイダー・ヌボラーリでもはっきりとテールフィンの存在は確認できます。
 

 もっともこのタイプのテールフィンは、レーシングモデルやレースユースを考えたスポーツカーではよく見られるアイデアで、高速での直進安定性を高める働きがあると言われています。一番有名な装着例としては60年代半ばのル・マン24時間に参戦したアルピーヌやCDプジョーなどで、とくに66年のアルピーヌA210のそれは、202SMMのスパイダーとシルエットも似ていて、同じ理論に基づくモノと考えてよいでしょう。
 
 

テールフィンの立役者は何といってもキャデラック

 さて、キャデラック・シックスティスペシャルですが、戦闘機「P-38」にヒントを得たと言うだけあって、テールフィンというよりは戦闘機の「尻尾」……もっと言うなら魚の尻尾をメインボディの後半部両サイドにくっつけたようなシルエットになっていました。その後、フィンはトランクの左右両サイドにそびえ立つようになり、文字通りの「フィン=羽/ひれ」となっていきました。
 

 一方、キャデラックの影響もあって、テールフィンは多くのアメリカ車にも浸透していきました。フルサイズのセダンだけでなくミディアムサイズの2ドアハードトップ、そしてスポーツカーにも。キャデラックと同じGMファミリーのシボレーが初の2シーターのオープンスポーツカーとして1954年に投入した「シボレー・コルベット」の、初代モデルの初期型では、1948年モデルのキャデラック・シックスティスペシャルに範をとったようなシルエットのテールフィンが取り付けられていました。
 

 もっともコルベットに関して言うなら、初代モデルの後期型ではフィンがリヤのホイールアーチ/フェンダーと一体化してテールライトも同一面に埋め込まれてしまっていましたが、これは時代の流れというべきかもしれません。というのも先駆けとなったキャデラックのテールフィンが、究極のスタイルとなったのは59年の「エルドラド・ビアリッツ・コンバーティブル」でした。フィンの高さは45インチ(約115cm)にも達していましたが、さらにフィンには「ツインテールライト」と呼ばれる2連のテールライトが組み込まれていました。
 
 

本家アメリカでは60年代には縮小傾向

 しかしこの年を限りにキャデラックのテールフィンは、年々少しずつ、縮小していくことになりました。その代わり、というわけでもないでしょうが、テールエンド自体を大胆にデザインするケースが登場しています。クライスラーがタービンエンジンを搭載したテストカーとして台数を制限し販売された「モデル55ターバイン」などはその好例。3年前に北米のギルモア自動車博物館で初対面したときは、どう形容すべきか言葉を失ってしまいました。
 

 また1962年のクライスラー・インペリアルのように、小ぶりなフィンの上に独立したテールライトをチョコンと乗せたような、奇をてらったデザインも登場してきました。まさに何でもあり、な状態だったのです。
 

北米の外では60年代後半まで生き残ったテールフィン

 アメリカにおけるテールフィンのブームは50年代が終わるとともに鎮静化されていきましたが、ブームが伝わっていったヨーロッパや日本では、もうしばらくブームが続くことになりました。ヨーロッパでは、例えばドイツでは「アウトウニオン1000」や、水陸両用車として知られる「アンフィカー」などが60年代に入ってもテールフィンを生やして走り回っていましたし、何とメルセデス・ベンツにもテールフィンを生やしたモデルがあったのです。これは文字通り「フィンテール」と呼ばれた「W110」や「W111/W112」で、60年代を通じて販売されていて、日本国内では「ハネベン」と呼ばれていました。
 

 またチシタリアが先鞭をつけたイタリアでも「フィアット2100」はテールフィンが装着されていました。イギリスでも「ボクスホール・ビクター」や「フォード・コルチナ」、「アストン・マーチンDB4」、あるいはエリザベス女王の愛車としても知られる「ローバーP5」などもテールフィンを生やしていました。
 

 北欧のボルボでは「アマゾン」や2ドアクーペの「P1800」が、サーブでは「95」にテールフィンを見ることができました。東欧では「シュコダ・オクタビア」がテールフィンを生やしていましたし、ロシアでも「ガズ・チャイカ」には立派な羽が生えていました。
 
 

日本では憧れの国アメリカの象徴だった

 一方、わが日本国内でもテールフィンを生やしたクルマは数多くありました。トヨタでは初代「クラウン」から「コロナ」、そして初代「パブリカ」までテールフィンがフルラインアップ。クラウンのライバルだった日産の初代「セドリック」やプリンスの2代目「グロリア」、そして同じくプリンスの初代「スカイライン」や「スカイライン・スポーツ」といった小型乗用車だけでなく、マツダ(当時は東洋工業)の軽乗用車、「R360」クーペにも可愛いテールフィンが生えていました。
 

 それはある程度仕方ない面もあって、まずアメリカは、クルマの先進国であり、自動車工業の先進国でもありましたから、各国のクルマや自動車工業が、アメリカに「右に倣え」となったのも充分に理解できます。また戦勝国で戦争被害の少なかったアメリカは、世界中を見渡しても独り勝ち状態で、経済発展でも他を圧倒していましたから、そのアメリカで繁栄のシンボルともされていたテールフィンには憧れもあったのでしょう。
 
 

じつはGMの大がかりな販売戦略だった!?

 しかしアメリカでテールフィンがもてはやされたのはGMの販売戦略に踊らされたことが大きい、とする説もあります。つまり「計画的な陳腐化」と呼ばれる、定期的なモデルチェンジ&マイナーチェンジのためのテールフィンだったと。たしかに、テールフィンは人目を惹くため、少し手を加えるだけで、つまり大きくコストをかけることなく、見た目を一新させることができる、というのがその理由だそうです。
 

 ちなみに、先に触れたようにレーシングカーがサーキットを走るような高速走行では空力的な理由付けもあったでしょうが、一般的なロードゴーイング、とくに1960年前後の道路事情を考えると、とても空気力学の裏付けがあったとは思えません。もちろん、何ら意味がなくても、それが好きだという人はいるでしょうし、それを否定するつもりも到底ありません。ただ個人的にはテールフィンよりも、ボンネットを開けた時に結晶塗装されたツインカムのカムカバーが現れた方がよほどカッコいいと思うのですが、それも「だから何?」と言われればそれまでなのですが……。
 


TEXT:原田 了
提供:Auto Messe Web

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