クラウンは長年にわたって日本の高級車の代名詞だ

1955年に初代がデビューしてから66年目に入ったのが、トヨタ クラウン。「いつかはクラウン」というキャッチフレーズが使用された時もあったほど、多くの日本人のDNAのなかには、日本を代表する高級車として刻まれている(昭和世代だけかも?)。それほどクルマに興味のないひとでも、“クラウン=高級セダン”と連想できるのは、タクシーとして長い間活躍したことが大きいだろう(タクシーは贅沢な乗り物だった)。筆者が幼いころにはマイカーなどは存在しなかった。



そのころ、母方の祖母の家に行くときは路線バスを乗り継いで向かったのだが、帰宅する時は夜間になることも多かったのでタクシーで帰宅していた。なぜか祖母の家から帰る時に乗るタクシーはほとんどクラウンであった。当時はフロントベンチシートにマニュアルコラムシフトがタクシーの定番だったので、後席のセンターを陣取り、フロントベンチシートの背もたれ真ん中部分にしがみついて、運転士さんの運転する様子を“ガン見”していた。

そのような筆者が選んだ、心に残る歴代クラウンTOP5を、思い出とともにお伝えしよう。

5位)8代目 ベンコラ仕様ステーションワゴンはいまでも高値

4ドアハードトップで3ナンバー専用ワイドボディを登場させ、初代セルシオと同じ4リッターV8エンジンを搭載するなどしたのだが、当時は日産シーマが爆発的にヒットしており、販売に苦戦したモデルとなる。



すでにこの業界に身を置いていたのだが、ある日カメラマンと待ち合わせをしていると、そのカメラマンが、ボディカラーがブラックとなる4ドアハードトップ ロイヤルサルーンを運転してきた(いつもはクラウン以外のステーションワゴンだったが、たまたま実家のクルマできた)。
乗り込むと、コラムシフトタイプのATでベンチシート仕様であった。シートはプカプカで、足まわりは“船を漕ぐ”雰囲気といえるソフトなもので、気分はアメリカ車(当時のアメリカ車はまだベンチシート&コラムシフトが多かった)に乗っているようで、「これでV8 OHVならなあ(実際は2リッター直6)」と思ったのを覚えている。柄のあまり良くない男ふたりが、陽気もいい時期だったので窓全開で走っている姿は、「あまり柄の良くない人たちが乗っている」と思われたかもしれない。



1991年に4ドアハードトップが次世代へ、1995年にセダンが販売終了となっても、ステーションワゴンが1999年までラインアップされた。クラウンステーションワゴンは、見た目の印象だけではなく、ラゲッジルーム床下に3列目シートが格納(逆向き)されている、7名乗車仕様となり、まさにアメリカンステーションワゴンを強く意識していた。そのため、ベンチシートでコラムシフトというスタイルの仕様も用意していた。

いまでも中古車では、若者から“ベンコラ”と呼ばれたベンチシート&コラムシフト仕様は同年式のフロアAT仕様より格段に高値で販売されているほど高い人気を維持している。8代目はアメリカンフィーリングを強く感じる、最後のクラウンといっていいだろう。

4位)3代目 マイナーチェンジで大胆な改良実施

前期モデルは“日本の美”をテーマとしたスタイリングを採用しており、とくにフロントマスクは“和風”なものとなっていた。初代、2代目にはなかった2ドアハードトップをラインアップするなど、それまでは、どちらかといえばタクシーやハイヤー、企業の役員車両など業務用車的ニーズが目立っていたのだが、モータリゼーションが進み“マイカー時代”が到来し、オーナードライバーを強く意識したモデルラインアップにもなっていた。



しかし、1969年にマイナーチェンジを行うと、特徴的なフロントマスクは大幅変更され、エクステリア全体も当時のアメリカ車で多かった直線基調なものとなった。ほぼラインアップしていた時期が被る2代目セドリックでも前期型ではピニンファリーナによるヨーロピアンテイスト溢れるエクステリアだった前期型が、マイナーチェンジ後の後期型ではアメリカ車のようなシャープな直線基調のエクステリアへ大胆な変更を行っている。インテリアも特徴的なものから、直線基調のオーソソックスなものとなっている。

いまでは信じられないかと思うが、当時は“輸入車=アメリカ車”であったことが大きく影響していたようだ。

 

中国でもクラウンの名は轟いた!

3位)12代目 中国では成功の証として大ヒット

“ゼロクラウン”と呼ばれた12代目は歴代クラウンのなかでもエポックなモデルとして有名なのは、いまさらながらの話。筆者としては、このゼロクラウンが2005年に中国現地合弁会社“一汽豊田”において、現地生産が開始されたことに注目した。



中国国内で改革開放経済というものが進むなか、1992年から社会主義市場経済が導入されると、中国経済はその後急速な成長を見せいまに至っている。その社会主義市場経済導入直後、もっぱら先行して経済改革が行われた広東省などの華南地区では、企業経営などで生活が豊かになったひとがこぞって当時のクラウンセダンに乗るようになった。つまり、“成功の証”がクラウンだったのである。そして、中国では“特別な存在”となったのである。

そのような背景もあり、ゼロクラウンの現地生産が始まり、中国国内で発売されるやいなや大ヒットした。社会主義市場経済導入から十数年経った時だったので、成功の証として富裕層がこぞって再びクラウンに乗ったのである。



しかし、その後経営者の世代交代などが進むと、クラウンへの“憧れ”というものも薄れ、人気も下降線をたどることとなった。最近になってFFベースのクロスオーバーSUVが“クラウンクルーガー”として中国で発売された。そのネームバリュー、つまり神通力が残っているのか、興味深く見守っていきたい。

2位)4代目 インパネにおおいに不満を持った

スピンドルシェイプという大胆なエクステリアデザインを採用した4代目は“くじら”との愛称がつけられている。3代目からの流れを引き継ぎ、オーナードライバーを意識したエクステリアであったが、その狙ったオーナードライバーからも、「これじゃ」と、その“ぶっとびぶり”に拒否反応を示すひともおり、当然タクシーやハイヤーなどとして使う事業者からも評判は良くなかった。



1971年、筆者が幼稚園年少組の時に4代目がデビューしている。すでに2歳から“クルマオタク”となっていた筆者だが、家にはマイカーはなく、たまに乗るタクシーが乗用車に触れる唯一の機会であった。

4代目のエクステリアについては「変わった形だな」くらいの印象しかなかったのだが、そのインパネにはおおいに不満を持ったのも覚えている。3代目では大型の丸型3連独立メーターを採用しており、ウインカーのサインランプはメーター外にレイアウトされて大きく目立つものであった。

それが4代目では角型3連独立メーターへと変更された。幼稚園児ながら「少々メーターが小ぶりになったかな」と思っていると、ウインカーのサインランプがセンターにあるスピードメーター内の上面左右にレイアウトされる小さなものとなった。タクシーのフロントベンチシート背もたれにかじりつき、ウインカーが緑に“カチカチ”と点滅するのを見るのが大好きだった筆者としては、かなり見にくくなってしまったのが不満であった。大好きなコラムシフトのノブ形状も変わったことにも納得いかなかった。



クラウンが単なる保守的な高級セダンではなく、その後の9代目も、そのエクステリアが物議をかもすなど、挑戦的な試みにも多くチャレンジしているモデルであることを語り継ぐモデルとして、4代目を語らずにはいられないだろう。

1位)クラウンコンフォート

タクシー専用に開発されたといってもいいのがクラウンコンフォート。1995年にデビューし、2018年まで23年間ラインアップされていた。



初代クラウンは日本初の純国産乗用車としてデビューしているが、日本のタクシー車両を純国産乗用車にしたいという思いもあったと聞いている。クラウン登場までは、トラックシャシーにセダンボディを架装した日本車や、それこそ海外ブランド車がタクシーとして活躍していた時代であった。

そして、クラウンが日本の高級車の代名詞となるようなステイタスを築くことができたのも、長い間タクシー車両のラインアップを続け、そのまさに“酷使”ともいえる使用環境に耐える性能を追求しながら、乗用仕様にも反映してきたことがある。



カローラクラスでさえ、初回車検まで価値が残っていればマシといわれたバブル経済期であっても、クラウンは10年落ちぐらいでも平気で価値が残った。ニーズがあるから価値が残るのだが、そのニーズの背景にはスバ抜けた耐久性能の高さもあった。

クラウンコンフォートはデビュー時、「走行距離50万kmぐらいまでは致命的なトラブルは基本的には発生しない」とされた。東京23区内(武蔵野・三鷹市含む)の営業圏では平時ならば、タクシーは年間平均10万kmぐらい走り、40万km前後で入れ換えるのが一般的。その後は地方のタクシー事業者が中古車として購入し再び営業運行に使うか、そのままタクシーとしての現役を引退して自家用として使用するタクシー運転手も目立っていた。



いまではJPNタクシーが後継モデルとしてラインアップされているが、価格が高いこともあり、コンフォート系からJPNタクシーへの“代替わり”がなかなか進まない中、コロナ禍への突入でさらに“JPN化”が進まなくなってしまった。そのスタイルなどもあり、事業者のなかには“アンチ派”も多く、クラウンコンフォートの中古車人気はかなり高まっている。

2008年に搭載するLPガスエンジンをキャブレター式から液噴式に換装しているのだが、キャブレター式のほうがより人気が高く、走行距離30万km台で程度が良ければ“価格応談”が当たり前となっている。これは、都市伝説的に「液噴式になってからは耐久性が落ちた」という話が業界に流れており、いまも影響しているのかもしれない。



マークIIセダン(X80系)ベースなので、それまでのクラウンセダンベースのタクシーに比べ、乗り心地やシートパッケージに“クラウンらしさ”がなくなったのは悲しかったが、セダンとは思えないほどの乗降性の良さに驚き、すでにコラムシフトなどは絶滅危惧種(当時のミニバンは除く)となっているなか、マニュアルコラムシフトまで用意されていたことにも感動を覚えてしまった(しかし、2008年のマイナーチェンジ以降はベンチシート及びコラムシフトは全廃されてしまった)。



Y31日産セドリックタクシーは1987年デビュー。そのコンフォート系は、デビューからすでに8年が経過していたセドリックセダンベースの“オールドモデル”だったので、クラウンコンフォートが革新的なタクシー車両のように見えたのも覚えている。

筆者としてはクラウンを語る時はタクシーの存在は欠かせないものと考えている。“日本のタクシー”としてクラウンが確固たる地位を築いていくなか、乗用車版のクラウンも日本の高級セダンとして、誰もが知る存在となった。クラウンの歴史は日本のタクシー車両の歴史でもあるのだ。

TEXT:小林敦志

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