東京新聞夕刊の大波小波欄でここのところしばらく、いとうせいこう氏が自作の教科書掲載を拒否しているという問題が取り沙汰されている。
教科書編集者からの修正に応じたくないという、いとう氏の態度の是非を複数の論者が取り上げているのだが、その是非よりも、本日の同欄には書かれていた事実にぎょっとした。引用する。
現在進行中の教育改革によって高校の国語教科書は大きく変わろうとしているのをご存じだろうか。高校二・三年生の「現代文」を「実用国語」と「文学国語」に分け、選択制にするというのだ。そしてセンター試験の後継テストから小説は姿を消す。
実用国語!
文学と分けたからには、主に伝達のための、実用的な言葉をそういうのだろうと思うが、そんな分類をした人々の頭の中身を疑う。
言葉はそもそも実用のために生まれたものだろうが、ロボットじゃあるまいし、伝達しか考えていない、実用的な言葉というものが存在しうるのだろうか。
少し前に文学部止め~みたいな施策が話題になったが、この変更はそこまで大きくは見えていないものの、実はじわじわとこの国を悪くするものになるんじゃないかと思う。