「読点(、)をまったく使っていない」のも、今作品にかぎってはプラスに働いている。読みやすさだけで言えば、たとえば「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。」は「どうすんだよ私、活躍出来ねーじゃねーか。」と区切るのがセオリーだが、あえて読点を抜いて詰めることによって可読性が悪くなり、結果として内容をじっくりと吟味できるようになっている。もしコレが偶然ではなく作為なのだとすれば、相当に高等なテクニックだと言える。

 

「19センテンスのうち、13を1ライン(20ワード強)で終わらせている」という緩急のつけ方も完璧だ。大雑把には2つの短文に1つの長文が入る計算であるが、実際には「4短→1長→1短→2長→6短→1長→1短→2長→1短」と程良い不規則さが織り交ぜられている。まるで嵐の前のさざ波を彷彿させる、見事なシンコペーションではないか。

 

「『クソ』と『ボケ』の締めくくりが段落付けの代わりになっている」点も見逃せない。これらの“ファック用語”をあと二つでも付け加えたなら、この詩はただの下品な罵詈雑言の羅列へと成り下がってしまうのだ。

 

……と、惜しみない賞賛のオンパレードであるのだが、一つだけ残念だったのが、

 

子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。

 

の下り。さすがに意味がわかりづら過ぎる。ニュアンスは理解できなくもないのだが、いっそ「トル」ことによって、よりストイックなスッキリ感を際立たせてみるのもアリだと思うのだが、いかがだろう?