先日覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕された、元野球選手の清原和博容疑者。現役時代は西武、巨人、オリックスとチームを渡り歩き、オールスターのMVPには7回選出、そしてサヨナラ本塁打12本の日本記録をもつ。188センチの長身といかつい体躯で、「番長」の愛称で親しまれたスーパースターだ。

 

番長のネーミングに恥じることなく、近年の彼は強面の元野球選手というイメージで通っていた。現役時代からすでに薬物依存が始まっていたと報道される清原容疑者だけれど、現役時代はもちろんのこと、引退後もたとえ夜の街を練り歩いている時であろうと、人々に、特に子どもたちにサインをねだられたら気持ちよくサインして回っていたという。連れには「ごめんな、俺は子どもたちにサインせなあかんのや」と何度も謝りながら、サインする手は止めない。サインを断らなかった彼の姿勢は自己顕示欲だとかちやほやされるのが好きだとかよりも、彼の中の「野球の神様」が与えていた使命感なのかもしれない。

 

両脚と胸に彫られた昇り竜の刺青は、「脚のは二人の息子、胸は俺や」と、それらが形作る三角形を体と心に刻みこんでいたのだそうだ。どれだけ私生活が荒れていても、息子たちへの愛情だけは大きかった。今はもう野球選手としては見る影もなくなった自分の才能を継承している息子たちのために、手取り足取り野球指導をするのが夢だったという。

 

清原容疑者の報道後、彼の弱さを指摘する声が溢れている。痛みへの恐怖、結果を出せないことへのプレッシャー、友人や家族などの人々が自分に背を向けて去っていく孤独などが依存を加速する原因だったらしい。清原容疑者は、「野球の神様」も人々と同じように彼に背を向けて去っていったように感じていたのだろうか。

 

プロ野球選手の引退後の姿には、明暗がくっきりと分かれる。監督や指導者、あるいは解説者として、ずっと一線の野球に関わっていける選手はごく一握りで、野球とはまるで関係のない、例えば飲食業で実業家として成功したり、あるいは失敗したりと、進む道はバラバラだ。ある調査では、若手プロ野球選手の7割以上が引退後の生活に不安を抱えていたのだそうだ。スポーツが大好きだった子どもはいずれ、目を見張るような才能を開花させる。周囲に期待され、ちやほやされ、やがて下り坂を迎えた時、野球以外のことが何もできない無防備な大人であることに気がつく。去って行く「野球の神様」の後ろ姿を、「そうか、もう自分は選ばれた人間ではなくなったのだ」とただ黙って見送るしかないのだ。

 

「清原元選手しかり、もしかしたら先日休業を公表したベッキーや、中居正広をはじめとするSMAPのメンバーなど、近ごろのゴシップの中心にいる彼らもまた、いわゆる普通の社会性を持ち合わせた大人になるには特殊すぎる環境下で成長期を過ごした人、という点では同じかもしれない」。そんな指摘を聞いて、なるほどなぁと思う。芸能の神様やスポーツの神様に幼い頃から寵愛されて育った人々は、ごく普通の人間から見たときにびっくりするほど現実離れした、「選ばれた人」としてのオーラを放っている。それは、売れているときはまさに魅力の核となるのだが、ひとたび神様が離れていくと「びっくりするような社会性のなさ」として映ることは多々あるだろう。