「好きなことだけして生きる」ことに憧れる人、その憧れを実行に移している人を最近よく見かけます。実に素晴らしい。愚痴ばかりこぼし、不自由に生きていることを誰かのせいにしている傲慢な人に比べたら、よっぽど潔いと思います。

 

しかしまれに「あれ?」と首をかしげるような場面に遭遇することもあります。「好きなことだけして生きる」ことの解釈が、人により微妙に違うのです。

 

考え方は人それぞれ。他人に迷惑さえかけなければいいという解釈もあるし、そもそも生きている限り誰かに迷惑をかけているのだから、それをゼロにするなんてできないという解釈もあります。「むしろ他人に迷惑をかけることも躊躇せず、そこでフォローされることで感謝の念が生まれる」なんて誠に都合のいい解釈もあります(笑)。

 

カオスな世の中、いろんな考えの人がいるから面白いのだとあたしは思いますが、でもやっぱりネガティブワールドにこちらを巻き込ませるようなマイナス吸引力の強い人と、「自分さえよければそれでいい」無責任さを巧妙に隠す詐欺師的な人だけは、おつき合い勘弁願いたいところ。そんなタイプの人とうっかり接触してしまった場合、少なくともあたしの人生にだけは関わってこないよう、全力で逃げ切り塩を撒いておきます(笑)。

 

さて、本題に入ります。記事タイトルの意味、あなたにはわかりますか? おそらく、現状「好きなことだけして自由に生きている」人と「何かのせいにしたり自分に言い訳したりして自由に生きていない」人では、解釈が異なるのではないでしょうか。むしろ前者の中でも解釈は割れそうな気がします。

 

「一度きりの人生なんだから、自由に生きればいいじゃん」。あたしは誰に対してもそのように言うし、自分に対してもそれをポリシーにしています。

 

だけど、ひとつだけ忘れちゃいけないことがあるのです。「自由」には「責任」がもれなくついてくるということ

 

自由と責任はワンセットなんですよ。「好きなことだけして自由に生きる」の解釈を勘違いし、責任を切り離した振る舞いをする人は、周りから支持されないどころか糾弾されてしまいます。だってそれ、ただの傍若無人ですから。

 

「好きなことだけして自由に生きる」の裏にあるものは、自分勝手を承知で自由に振る舞うこと。万が一誰かに迷惑をかけたら謝罪し償うつもりでいること。誰かに嫌われてしまっても「しょうがない」と諦めるくらい、本当に「好き」という気持ちを貫けること。

 

上の太字のところが抜け落ちている、にわか「自由人」の多いこと!