先週末は、シークレット・スライト・オブ・ランゲージの3~4回目を受講してきました。隔週で土日を確保するのは、ミュージカルの練習に通っていた時と同じように色々「段取り」が必要だったりするんですが、それでも受ける価値が大いにあると感じたセミナーなんですよね。

 

今回からは、ペアを組んで具体的なセッションの練習をし、それをビデオに撮ってみんなで見ながら「ここでこんな介入ができたよね」「この内容をもっと掘り下げた方がいいよね」といったフィードバックをしていきます。

 

ペアで練習していくわけですが、今自分が抱えている悩みをカウンセリングしてもらうようなものなので、勉強しながら自分もクライアントとして治療していただいているような感じです。

 

先日の練習で私が取り上げたテーマが「人間らしく食事をしたい」というものでした。

 

冒頭で私が「人間らしく」といった時点で講師の先生から突っ込みが……。「人間らしく食事をしたい」ということは、すなわち「人間らしくない食事を強いられている」、つまり、自分のコントロールのできないところで強制的にその状態を「押し付けられている」という信じ込みがあるわけです。食事に限らず、子育てにおいて私は「自分でコントロールできない」ということにストレスを感じていました。そして、自分の「望まない生活」を強いられていると感じていたんです。それを象徴する言葉が、子供たちと丸一日過ごした時の「奴隷生活」です。

 

この「自分ではどうしようもない」という受け身の姿勢を専門的に分析すると「他者原因」で「反映分析型」といいます。要するに、困った状況を作り出している原因を「自分以外(私の場合は子供たちや夫)」に見出したり、困った状況に対して「自分から働きかけることができない」と判断している状態です。

 

そのことを指摘されたとき、正直「なんでだろう?」とかなり違和感を感じました。なぜなら、育児に関わるとき以外は私はどちらかというと原因を自分に見出して、自己責任としてその問題に対応したり、どうすれば解決できるかに焦点を当てて自分が主体的に働きかけることができるからです。でも、育児にかかわる部分だけ、「私の力が及ばない」という信じ込みが必要だったんですね。

 

なぜ、育児に関して「自分原因」にすることに抵抗があったのか、それは「自分原因」にすると「育児の大変さを周りに理解してもらえないままになる」というデメリットがあったからです。育児が大変だと感じるのは「私の問題」で、本当は育児なんて「全然大変じゃないんだよ」ということになると、ものすご~く不都合があったのです。

 

ちょうど、育児の大変さを訴えたら「好きで生んだんでしょ?」と言われて追いつめられるのと似た心情だと思います。子供がほしいと思って自分が望んで生んだ、ということは間違いありません。でも、「今の生活を望んだわけではない」ということが理解されないから、「好きで生んだんでしょ」と言われるとショックを受けるわけです。