遺伝子操作によってより高い知能と、より強い肉体、より美しい外見を備え、生物学的に完璧な条件を持つ受精卵のみを取捨選択して母体に植え付ける。そして生まれたデザイナーベビーは「適正者」として人間社会で優遇される――。

 

1997年の映画『ガタカ』では、人間の手を加えて事前に選ばれた「適正者」と、自然分娩によって(運を天に任せて)生まれた「不適正者」の格差の世界が描かれた。実はそういったガタカ的な出生前診断による取捨選択は、生命倫理が問われるために積極的な操作ではないにせよ、「社会的に不利な条件」を排するという方向で、不妊治療の普及と共に世界中で広く行われてきた。

 

実際、いまアメリカでは、精子提供者×卵子提供者の遺伝子の組み合わせごとに、親の望み通りのベビーが産まれるかどうかの確率を予測するサービスも広く事業展開し、利用者は世界40万人にのぼるという。不妊治療の末にようやく着床した受精卵の遺伝子を調べたら、重大な病気のリスクや、将来に社会的差別を受ける懸念のある要素が発見され、人工妊娠中絶に至った例もある。そしてこの潮流は「人間の驕りではないのか」と、生命倫理と人類の科学的向上とのグレーゾーンでモヤモヤしたまま、そっと水面下で進行している。

 

IQは金で買えるのか?中国の「天才赤ちゃんづくり」プロジェクト

 

着床前診断を使えば100パーセントの男女産み分けが可能となった現在、この技術を使って「もっとも賢くなる受精卵」を選び出すことは難しくないという。理論的には、そうして生まれてくる子どものIQ(知能指数)は1代で平均5~15ポイント高まる。そして、子どもの知能指数が平均して5ポイント上がるだけでも、「経済的な生産力や国の競争力において、とてつもない違いになる」ということだ。

 

この引用部分を読んで気持ちのアガる人と気持ち悪いと思う人、そこで大きく分かれるのではないか。

 

金さえ払えば「賢い」子どもを宿すことができる。中国が天才赤ちゃんづくりを企んでいるというニュースが話題となっているが、出生規制を行っている国の発想としては「一人しか産めないのなら、より『良い』赤ん坊を」と考えるのは不思議なことではないかもしれない。

 

より「高性能な」人間を求める考え方を、優生思想という。その優生思想がたどり着いた、あるもっとも極端な形がナチスドイツ時代の大虐殺だったわけだが、なぜそれがこうまでして世界的禁忌となっているかというと、それは人間の倫理を根底から侮辱する狂気だという世界的合意があるからだ。虐殺には至らないまでも、優生思想を持ち、進めようとする動きは、戦前から戦後にかけてどこの国にも文化にもあったが、倫理と「ヒューマニティー」、そして時には宗教がストッパーとなって普及を抑止してきた。