■唯一の解決策は非論理的手段(宗教的手段)
整理すれば、次のようになります。

 

(1)集団の構成員である各個人が、協力行動か非協力行動かの、どちらかを選択できる。
(2)各個人にとっては、非協力行動を選択する方が得をする。
(3)全員が非協力行動を選択すると、全員が損をする。

 

これが社会的ジレンマです。少し専門的な表現を使えば、「部分最適と全体最適の解は異なる」ということです。部分にとっての最適な答えと、全体にとっての最適な答えは異なるということです。

 

実は、この社会的ジレンマは、論理的手段(科学的手段)では解決できないことが分かっています。非論理的手段(宗教的手段)でしか解決できないのです。つまり(2)を選択しないということ、各個人が得をするように行動しないこと、全員が協力行動を選択すること、です。それではじめて、全員が得をするのです。

 

これは別に宗教や道徳の話でなく、科学としての研究成果です。いろんなケースをコンピュータでシミュレーションした結果として、「(2)の非協力行動を選択しないことがベストな解である」ということが証明されているものです。

 

すなわち、「私たち全員で、各個人の利益にならないことを選択しよう!」という、個人的に考えたらまったく理にかなわない決意・総意、すなわち宗教的信念に似たものがない限り、社会的ジレンマは決して解決できないというわけです。

 

冒頭の保育園の問題に戻れば、周辺住民が社会全体のためを思って、交通事情や騒音を甘受し、事前説明のなかったことも許してあげることで解決します。科学の理屈でいえばそういうことなのですが、当事者だったらそんなに簡単に「はいそうですか」と言えないことも理解できます。

 

難しい問題ですが、そういう問題を解決してこそ、平和な社会が築けるのだと思います。逆にいえば、平和な社会をつくるということは、それだけ難しいということですね。