子どもは親とニコイチとされている。子どもが蹴ったボールが故意でなく当たったバイクの死亡事故の件からもわかるとおり、未成年が犯した罪は、親の管理責任として追及される。つまり、もともと子どもを「秩序を乱すリスク」であるとみなすタイプの社会が、「そのリスクを管理できていない親は責任を取るべきだ」として、親を罰しているのだ。

 

「親の顔が見たい」という定型句に、その精神は明確に表れているだろう。この言葉は世のあちこちに登場する。キラキラネームやキッズモデルなどの好き嫌い程度の話題。ベビーカー、散歩ひも、早期教育やお受験、学力低下、公園問題、保育園問題(『そんな年端のいかない子どもを預けて働くなんて無責任な親たちのために、この閑静な住宅地に保育園なんか作るな』というご立派な意見が存在する)などの、他人の子育てに口を出したがる話題。虐待事件などの真に親の責任が問われるべき問題までいかずとも、世間で子育てに関して話題になるものは、それが合理的であるかどうか以前に、まずどこかしら明に暗に親を罰する部分がある。

 

社会(というか自分)に迷惑をかけるような子どもを育てているのは「バカ親」だ、と不快感をあらわにして一方的に断じ、「そんなバカ親には社会的制裁が加えられるのが当然」と疑わずに、エネルギーを投入してまでおおっぴらに批判する。子どもヘイトの本質とは、「俺に/私にとって迷惑だと感じられる子どものバカ親」ヘイト、断罪する精神であり、要は「センシティブな俺の/私の快適を精神的にも物理的にも脅かす、小さな子どもという世にも恐ろしい存在」への耐性の低さ、アレルギーなのである。しかしまぁ、繊細な社会であることよ。