時代のせい? 地域性? それとも、国民性? 「田舎は子どもが少ないからすごく大切にされていて、いろいろと環境が恵まれている」と、東京から地方へ移住したワーママが話す。地方の方が却ってムラ社会で関与が大きく、それを生きづらいと思う子育て層もあるという調査報告があるから、決して地方が恵まれていることばかりではないという意見もあるだろう。ただ、彼女の感想から感じるのは、田舎の方が子どもという不完全でもともとうるさい存在に対しての耐性が強いだろうということだ。

 

なぜなら、整って安全で便利な「コントロールされた社会」では、不完全でアンコントローラブルな存在はリスク扱い。東京は他に類を見ない安全で清潔な都市で、中でも駅での整列乗車の自発的な徹底ぶりや電車内でお互い決して関わり合おうとしない異常な静寂には、海外の公共交通機関に慣れた旅行者からは「なんだか怖い、人間的じゃない」という感想さえ聞く。そんなふうに整理整頓されコントロールされ、秩序の下で同じように振る舞うことを暗に求める社会では、そうじゃない、言うことを聞かない存在である子どもは「社会の宝」どころか、秩序を乱す「社会的ノイズ」であり、「リスク」なのである。そして、そんな社会は子どもへの耐性が低い。だから揉める。

 

でも、社会の成員とはもともと粒ぞろいなわけがない。心身健康でルールに従順な人間(それもどうかと思うが)ばかりじゃなくて、さまざまな弱者がいるのが自然だ。弱者理解や、「政治的正しさ」の理解が浸透して、たとえば障害者を排除しようとしたら、それは悪だと認識される。でも、子どもは結構おおっぴらに排除される。なぜ、それは許されるのだろう?