「現代の子育てが、息苦しい」。子育てをしながら、そうこぼす母親や父親たちがいる。

 

街の中一つ歩くにしても、路上や電車内のベビーカーが鬱陶しいとか、偉そうに何様だ、もっと肩身狭そうにしろと叩かれる。飛行機や新幹線で子どもが泣くと、必死であやして早く泣き止ませなければ、あちこちで聞こえよがしな舌打ちや呟きが響く。

 

子どもが公園でボール遊びをすると周りの利用者に危険が及ぶから、野球もサッカーも禁止、大声も禁止で、昔ながらの子どもの遊び場なんてろくすっぽない(公園でサッカーしたら警察に通報?大声も禁止、何もできない公園増で遊ぶ場が壊滅の危機)。子どもの蹴ったボールが当たり、バイクが転倒して高齢者が死亡したケースでは、遺族に訴えられてとうとう最高裁に(子供が蹴ったボールでバイク転倒、後に死亡…親の責任は)。家にいたらいたで、子どもの声や足音がうるさい、と階下の住人が怒鳴り込んでくる。保育園に入れたくても空きがなくて入れない。認可保育園が新設されると思ったら、近隣住民の反対で頓挫(保育所作りたくても… 住民が騒音など懸念、延期相次ぐ)する――。

 

最近、子育てを取り巻く報道や世間での話題が、どうも子どもフレンドリーではないのではないか。日本社会には子どもヘイトがあると思われても仕方ないほどの、ネタの豊かさである。子どもが生きづらい社会だ。「子どもらしくない」なら、ないで責められ、子どもらしくあっても、それもそれで責められる社会だ。

 

入園募集を始めていた東京都内の認可保育園に対して集まったのは、近隣住民約220人分の反対署名。公園には「サッカーをした場合、警察に通報します」といった脅しともとれる看板が設置。そんな風に大人たちが手間ひまかけ、エネルギーを投入してまで、どうして子どもを忌み嫌い、自分たちの生活圏や視界から排除したがるのだろう?