さあみんな、この機会だから凡人の私と一緒に認めよう。学歴社会だ。東大卒はブランドだ。ハーバードも、オックスフォードも、その他ひしめく世界中の名門大の輝かしい肩書。それを聞いて、瞬間的にへぇと思うこともなく相手を見る「目の色」も変わらない精神力の持ち主は、かなりの人生の手練れである。

 

いまこのコラムをお読みのあなたも、タイトルの「東大」と「エリート」にムムッと思って反射的にクリックしたはずだ。私が以前書いた「もはやギャグ!? キングオブ学歴は、東大卒じゃない」というコラムはYahoo!ネタりかでアクセスが集中し、炭になるまで大炎上した。世間はみんな東大が大好きである。

 

東大卒はブランドだ。でも同時にブランドという言葉の原義、「烙印」でもある。東大という言葉から連想されるあらゆるイメージに合致することを期待され、その期待にそえば「東大だから」、期待にそえなければ「東大なのに」。

 

これまでの歴史でも、また現状でも、日本の受験ヒエラルキーの頂点が東大であることに異論はないだろう。5教科7科目を満遍なく全てトップクラスレベルでできなきゃ受からない。そんなヒエラルキーを勝ち抜いた人々、精鋭の集団、上澄み中の上澄みであるはずなのに、なぜ世間に出た時、イメージ通りのマルチなエリートがいる一方で、不器用でデコボコな東大卒がいるのだろう。

 

私のまわりで見かける東大卒の人々を見てもそうだ。「頭イイ」「スゴくデキる」のに、「常識に欠ける」「大企業からドロップアウト」「性格がアウト」、または「何かが致命的に欠如してる」。

 

「そんなことないよー。頭良し性格良し顔良し常識アリ、オールラウンド、文句なし!」な人ももちろんいるけど、他のメンツのキャラが濃すぎて、なんかそんな東大出身者はむしろ凡庸というか、つまらない。そういうのは学者とか起業家とかの「イカれてるほど良い」クリエイティブな職業には向いていないので、オーセンティックな役人や大企業のサラリーマンになって手堅く日本を支えてください。