最近では霜降り信仰もずいぶんと落ち着いてきた。同じ和牛でも、サシがさらりとした褐毛和牛(あか牛)や、赤身肉の味が濃い短角牛など、大小織り交ぜると全国に400以上あるブランド牛が存在感を増している。だがいまも松阪牛や神戸牛が「和牛」の頂点にいるのは間違いない。

 

「ハレの席だから、(高級な)松阪牛でお祝いを」という気持ちはわかる。「木曽路」本部が「(高級な)松阪牛なら集客に役立つはず」と考えるのも道理だし、いい悪いは別として「売上を立てねば」と焦った店舗の責任者が「ちょっと」のつもりでズルをしたくなることだってあるかもしれない。

 

しかし「松阪牛」というブランドを喧伝するだけで、「牛肉のおいしさ」を伝えられるのか。本来、ブランドとは価値の象徴である。その本質的な価値を理解していなければ、扱う資格はないはずだ。違う肉を「松阪牛」として出す店が問題なのはもちろんだが、「松阪牛」がどんな牛か知らずにありがたがる「ブランド盲信」がその背景にはある。

 

個人的には、中以下の等級の松阪牛だけでメニューが構成された店などがあったら楽しいと思う。松阪牛は3以下の等級の肉でも十二分にうまい。霜降りばかりじゃ、カラダもサイフも早晩悲鳴を上げるだろう。日本人が表立って牛肉と付き合うようになったのは江戸時代の終わり頃から。それから150年以上がたち、牛肉はすっかり国民のハレのごちそうとして定着している。そろそろ誰もが自分なりの格付け基準をもっていいはずだ。