昭和に流行した、「企業戦士&専業主婦」という役割分担は、サッカーに例えるならば、夫がオフェンスで妻がディフェンスというように役割を明確にしたフォーメーション。それぞれに専門性が高まるメリットがあるが、お互いに代わりがきかないというリスクがある。それに対し、共働きというのは、二人でオフェンスもするし、二人でディフェンスもするというフォーメーション。どちらかがダウンすれば、戦力は当然半分になるが、一応オフェンスもディフェンスも続けられる。たとえ、「企業戦士&専業主婦」という夫婦においても、夫が妻を喰わせているのではない。妻がしっかりディフェンスしてくれているから、夫がオフェンスとして得点してくるだけである。チームワークで勝利していることに代わりはないのだ。

 

共働き夫婦の中にはどっちの収入が多いかで家庭の中での発言力が変わるみたいなことがあるというようなことを聞くこともときどきあるが、それってどうなんだか……。二人の収入は、それぞれが独立してひとりの力で稼いだわけではなくて、お互いの協力があってこそ稼げたものであるはず。二人の収入の合計が、二人のチームワークの成果であるということ。オフェンスとディフェンスのバランスの違いでしかない。二人のうち、どちらがたくさん稼いだかなんて比べても意味がないと思う。

 

日常の営み、生活の部分はそれはそれ。外(企業)で働いているかどうかとか、年収が多いか少ないかとかはまったく別の次元であるはず。それなのに、働いているからとかいないからとか、年収が多いからとか少ないからとか、そっちのパラメータを先に決めておいて、そこに家事や育児などの人間として生きていくために必要な営みや生活の部分をはめ込んでいくという発想自体が、「仕事>生活」の発想から抜け出せていないような気がして気持ちが悪いのだ。

 

実際にそうなってしまうことはしょうがない。しかし家事ハラをきっかけに「べき論」を語っているときに、実は自分でも気付かないうちに「仕事>生活」「年収の多い人が偉い」みたいな既成概念にとらわれて発言している人がいるとしたら残念なのだ。あくまでも家事ハラそのものについての議論ではないし、単なる私の考え過ぎかもしれないけど、“ささくれ”的に気になってしょうがないのだ。